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集団美が魅力なのに…阿波踊り、人手不足深刻 新たな形の開催模索

毎日新聞 2024年8月13日 10時0分

 徳島県の夏の風物詩「阿波踊り」。2023年5月に新型コロナウイルスが感染症法上の5類に移行して以降、本場の徳島市では例年を上回る人数の踊り手や観客が全国から集まる勢いで盛り上がるが、他の自治体では人口減少や生活様式の変化で踊り手メンバーの不足が続く。コロナ禍前のような規模や形態で祭りが開催できず、踊り手自身や地元の有志が新たな形での開催を模索している。【山本芳博】

 徳島県では8月に入ると、県を東西に貫く吉野川に沿って鳴門市、徳島市、阿波市、吉野川市、つるぎ町、三好市と東から西へ阿波踊りが順次開催されていく。徳島県は少子高齢化に伴う人口減少が深刻で、県人口は23年10月時点の推計で69万5000人(うち15歳未満は7万4000人)。全国で4番目に少なく、前年と比べて28年連続で減少した。05年の県人口は81万人(同10万8147人)だったことから、18年間で約14%の減少率だ。

 人口減少は、集団美が魅力の阿波踊りの踊り手グループ「連」にとっては連員の減少という悪影響を及ぼす。吉野川市では現在、活発に活動している連は、もっこ連▽舞絆踊(ぶきっちょ)連▽きらく連――の3連のみ。07年6月に隣接する阿波市の連と合わせた計8連で「吉野川市阿波踊り振興協会」が結成され、08年度には10連まで増えた。同市のJR鴨島駅前中央通りで8月14~16日に吉野川商工会議所や市などでつくる実行委員会が主催してきた「吉野川市阿波踊り大会」の運営に出演連の調整で協力するなど、地域の阿波踊り文化の発展に貢献してきた。

 また、17年に隣の阿波市でも、連員や練習場所の確保のために別々に活動していた市内の舞雀(こすずめ)連▽龍虎連▽かっぱ連▽恋蝶(こちょう)連▽土成連▽阿波酔連▽新阿波土柱連――の7連が計約120人で「チーム阿波市AWAおどり」を結成した。舞雀連の尾池美夏連長(46)が会長を務め、18年8月11日に市観光協会が同市市場町の交流防災拠点施設「アエルワ」で主催した「あわ阿波おどり」というイベントに協力してきた。

 人口減少による連員不足をライバル連との団結で補ってきたが、20年からコロナ禍が猛威を振るい、同年は両市でほぼ全ての阿波踊りイベントが中止になると同時に、連の活動も休止に追い込まれた。

 コロナ禍が5類に移行し、活動を再開しようとしたが、23年10月に開いた「吉野川市阿波踊り振興協会」の連長会で確認した結果、所属6連のうち協会として活動できる連が、もっこ、龍虎、舞雀の3連だけだったので、24年3月に協会を解散した。「チーム阿波市AWAおどり」も「阿波酔連」「新阿波土柱連」の2連が再開できずに現在は5連のみだ。

 同振興協会の事務局を務めていた高越(こおつ)連が、コロナ禍前は約70人と所属6連のうち最多人数の連員を抱えていたにもかかわらず、再開できなかったのも振興協会の解散の大きな一因だ。活動を再開した場合に参加できるかどうかを約70人に聞いたところ、踊り手3人しか手が上がらず、鳴り物はゼロだったという。

 他にも舞雀連は連員が15年ほど前には50人いたが、コロナ禍前は35~40人で、現在は25~30人。龍虎連は以前は80人ほどいたが、コロナ禍前に40人に減り、現在は30人ほど。

 龍虎連に入って44年の富杉眞二連長(80)は「コロナで休止している間に中学生は高校生になり、部活に入ったりして生活様式が変わった。大人も阿波踊りが無い生活サイクルの方が楽なことに気付き、他の趣味に熱中したり、仮に阿波踊りを再開するにしても徳島市の連に入ってしまったりする。コロナ後でも職場から『人が集まる連には行かないように』と止められて、来ない連員もいる」と話す。

 しかし、解散から数週間後、同振興協会の副会長を務めたもっこ連の曽川友梨連長(36)を会長とする新組織「吉野川中央阿波踊り振興会」を舞雀連と龍虎連の計3連で立ち上げた。各連個別に活動するより、協会を作った方がイベントの主催者から出演の打診があった時に協会所属連全てに情報が行き届き、出演の機会を逃さないからだ。

 もっこ連員には医療・福祉関係者が少なく、コロナ禍前にいた連員約40人がほぼ全員戻ってきてくれた。連員は家族単位が多く、昨年も5人家族など計10人が連に入ってくれた。曽川連長は「連長というのは連員に日々の練習の成果を披露する場を提供する役割がある。協会には協会の決まりやこれまでのやり方があり、6連で足並みがそろわない中、解散してゼロからスタートするために新たな組織を作った」と話す。

 新組織は、8月11日にアエルワで「世界で1番熱い夏in阿波市」と銘打って5年ぶりに阿波踊りイベントを主催した。新組織の3連と、「チーム阿波市AWAおどり」の2連と合わせて計5連が踊り、餅まきやキッチンカーも出すなど人集めの工夫をした。曽川会長は「踊りの練習をしながらイベントの協賛金も集めるのは大変だったが、多くの人に来てもらって地域が盛り上がり、やり切った」と満足感を示した。6月には徳島市でPR活動をし、クラウドファンディングでも10万1000円の支援金を集めた。

 一方で、イベントを主催する側の方でもコロナ禍を境に変化を見せている。JR鴨島駅前の商店街では現在、空き店舗が目立ち、人通りが少なく、コロナ禍前までは吉野川商工会議所が実行委をつくって市などの組織も入って花火大会などを主催してきた。昨年はコロナ禍が明けても阿波踊り大会の再開の話が進まず、「商工会がしないのならば個人の手で」と踊り手ではないが、地元の電気工事業の和泉敦史さん(45)ら有志6人が実行委を結成し、8月16日に「一夜限りの鴨島阿波おどり」と銘打って開催した。和泉実行委員長は「昨年は前日の15日が台風通過で徳島市が中止になり、踊り足りなかった徳島市の有名連が出演してくれてJR鴨島駅前商店街には久しぶりに多くの人で賑わい大成功だった」と振り返る。

 昨年の大成功で、以前、運営に携わっていた人がノウハウを助言してくれたり、市が補助金を出してくれたりで、今年も同日に「第2回一夜限りの鴨島阿波おどり」を開催する予定だ。和泉実行委員長は「自分は連とは無関係の人間なので、それがしがらみのない中立な立場と解釈されているのかもしれない。予想以上に協力を申し出てくれる人が多い」と来年以降の開催継続にも手応えを感じている。

 人口減少で担い手や調整役の人材不足と、コロナ禍による生活様式の変化によって苦戦が続く地方の阿波踊り業界だが、運営方法の模索が続いている。曽川会長も和泉実行委員長も「大きな組織はイベントを再開する意思決定が複雑なので、簡単には進まないのだろう。調整役の人材不足もあると思うので、自分たち有志が集まって安全を第一にした開催に動かなければならない」と意見が一致している。

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