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戦争続行を望んだ旧日本軍 慶大キャンパスの地下壕が教える歴史

毎日新聞 2024年8月21日 8時0分

 慶応大学の日吉キャンパス(横浜市港北区)には太平洋戦争末期、旧海軍の連合艦隊司令部が置かれ、広大な地下壕(ごう)が建設された。この戦争遺跡から何が学べるのか。地下壕保存の取り組みを取材した。【大正大・赤野間妃葵(キャンパる編集部)、早稲田大・山本ひかり(同)】

真夏でも寒い地下空間

 「暗くて滑りやすい場所があります」。3日に開催された日吉キャンパスの地下壕見学会。事前に注意を受けて入った地下壕は、真夏なのに長袖でなければ寒く感じるほどひんやりとしていた。「深いところは地下30メートル、温度は年間を通じて18度ほどです」とガイド。コンクリート製の天井や壁。通路は2人で横並びになっても気にならないほどの幅があり、天井も一般家屋より高い。

 懐中電灯を頼りに暗い通路を30分ほど進むと、地下壕の中枢部である連合艦隊司令部の電信室と暗号室に行き着いた。内部はきれいに塗装された跡があり、ひと目でここが特別な場所だと伝わってくる。「モールス信号を使った無線受信などが行われていました。この部屋には当時珍しい蛍光灯も使われていたのです」とガイドが話した。

陸に上がった司令部

 連合艦隊司令部が同キャンパスにある寄宿舎に入ったのは1944(昭和19)年9月29日。キャンパス開設から10年後のことだった。同司令部はもともと海上の軍艦(旗艦)に置かれていたが、米軍の攻撃で主要な軍艦が次々に失われたことと、戦域の拡大で、船上で情報を受発信することに限界がきたため、地上移転に踏み切ったという。

 学徒出陣により本籍地の軍隊に入隊していたため、キャンパスの主人公だった学生の姿はほとんど消えていた。学生寮には連合艦隊の参謀、士官が住み込み、校舎には軍令部第三部が入り、兵隊の寝泊まりにも使われた。

 同キャンパスが移転地として選ばれたのは、施設が新しくて充実していたこと、また軍港のあった横須賀と東京都心の中間地点にあたり、移動に便利だったことが大きかった。

 加えて、同キャンパスが「日吉台」と呼ばれる台地上にあることも大きな理由だった。地下に穴を掘り、広大な地下壕を建設しやすかったためだ。旧海軍は同キャンパスの地下に、約2600メートルに及ぶ地下トンネルを掘削。地上施設が米軍機の攻撃を受けても、司令部としての機能が維持できるようにした。

ここでしか得られない学び

 現在は「日吉台地下壕」と呼ばれるこの地下壕の保存活動に長年取り組んできたのが、同キャンパス内に校舎がある慶応高校校長の阿久沢武史さん(60)だ。阿久沢さん自身が地下壕の存在とその保存について関心を持ったのは、担任するクラスの生徒を連れて地下壕を見学したことがきっかけだったという。

 同地下壕の戦跡としての価値について、阿久沢さんは「そこに戦争を主導していた人たちがいたということ。作戦を立案し、指令を出して戦争を遂行していた。それを感じられる場所であり、ここでしか得られない学びがある」と語る。

 阿久沢さんによると、同地下壕からは、海軍機による特攻や、戦艦大和の水上特攻作戦などの指令も発せられた。特攻機は目標に突入する際、「ツー」という電信音を送る。それが途切れた瞬間が、特攻隊員の命の終わりだった。

 連合艦隊司令部が日吉を拠点にしたのは、サイパン陥落の2カ月後だ。太平洋戦争で亡くなった日本人は、民間人も含めて310万人。そのうちの200万人は、サイパン陥落後に亡くなっている。「サイパン陥落の時に戦争をやめていれば、戦没者はもっと少なかったはずだ」と阿久沢さんは語る。

見学を広く受け付ける理由

 阿久沢さんは、89年に発足した「日吉台地下壕保存の会」の会長も務めている。同会は、地下壕を管理する学校法人・慶応義塾の許可を得て見学会を実施している。現在は一般向けの見学会を毎月2回行っている。

 3日に行われた見学会には、親子連れなど約30人が参加した。参加者の一人で慶応高校1年の男子生徒は「ウクライナ侵攻など戦争が身近になっている中、自分の通う学校の下にあるこの施設を見学できて、貴重な経験になった」と感想を語った。

 保存上の課題として阿久沢さんは、国や自治体の史跡指定が受けられていないこと、慶応の敷地外での工事で地下壕が壊される可能性があることなどを挙げた。ただ保存の目的は観光や町おこしのためではない。研究や教育の資源としてどう有効活用していくかが最大の課題であるという。

 慶応義塾は近現代史を学ぶ自校の学生向けに見学会を開催しているが、自校だけでなく、多くの教育現場からの見学も受け付けている。阿久沢さんは「これから自分がどういう社会を作っていくか、自分がリーダーになった時にどういう判断をしていくのかを考えるきっかけになる」と考えている。

 地下に籠もってまで戦争を続ける道を選んだ旧日本軍。「地下壕を実際に見て、このキャンパスで戦争があったことを五感で感じてほしい。そして多くの犠牲を払いながら、どうして戦争をやめられなかったのか。現代の問題につなげて考えてもらえたら」と阿久沢さんは話した。

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