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編集者が語る“本の出発点” 著者の生きる姿勢に共感するからこそ

毎日新聞 2024年8月21日 12時7分

 出版不況が言われ、大型書店の撤退や老舗書店の閉店などが相次ぐ中、書店や出版社、編集者など「本を巡る場」を作る人たちを訪ね「本」というメディアについて考える不定期連載3回目は、「左川ちか全集」など、話題の本を生み出している福岡市の出版社「書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)」(侃侃房)の編集者、藤枝大(だい)さん(34)に聞いた。

 「死んでから俺にはいろんなことがあった」「ロシア文学の怪物たち」「エドワード・サイード ある批評家の残響」「パンクの系譜学」「私が諸島である カリブ海思想入門」……。最近、気になる本を次々に手掛けている藤枝さん。2022年には、長らく忘れられていた現代詩の先駆者であり、早世の詩人、左川(さがわ)ちかの「左川ちか全集」を刊行。出版界で大きな話題となった。400ページ超の詩集としては異例の3刷を重ねた。侃侃房はこの出版などでこの年、中小出版社の優れた出版活動を顕彰する「梓(あずさ)会出版文化賞」を受賞した。その後、岩波文庫から左川の詩集が刊行されたのも全集刊行の影響が大きいだろう。

感動から始まる

 今年2月には、ロシア文学者、翻訳家の高柳聡子さんによる「埃(ほこり)だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち」を出版した。そもそもの始まりを「(著者の)生き方にひかれた」と振り返る。本書は「銀の時代」(1890年代~1920年代)と呼ばれたロシア文学の興隆期の女性詩人たちを紹介した一冊だ。そのほとんどが日本では知られていない、ロシア本国でも忘れられた存在の15人の詩人たちの詩と生涯をつづっている。

 出会いはSNS(ネット交流サービス)だった。高柳さんが、投稿サイト「note」に日課のように、ロシアの詩人の詩の翻訳を1編ずつアップしているのを見つけ、感銘を受けた。「反資本主義的というか、営利活動ではなく、自らの生を豊かにする営みとして日常と地続きに詩がある高柳さんの姿勢がパンクでカッコ良かった」。すぐにツイッター(X)で連絡を取った。半年後の22年1月、侃侃房のWEB媒体「web侃(かん)づめ」での連載が始まったが、直後、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発。思い悩む高柳さんの背中を押し、連載を続けるとともに、侃侃房の文芸誌「ことばと」で、ウクライナ侵攻後にロシア語で書かれた反戦詩の特集を組んでもらった。その過程で藤枝さん自身、ウクライナの戦争と向き合うことになり「思い入れのある特集となった」と振り返る。

 「こちらの感動と著者の存在がいい形で出会って仕事が始まった方とは、一つずつ階段を上るように長く関係が続いていく」と言う。3月に出た「サメと救世主」もそんな一冊だ。ハワイ生まれの著者が、米国本土との格差や差別などハワイの現実を描いた小説だが、訳者の日野原慶さんとは、20年に刊行した「現代アメリカ文学ポップコーン大盛」の訳者として出会った。それが次の翻訳小説「ファットガールをめぐる13の物語」(21年)につながり、そして、本書を生むことになった。

 「売れそうだからではなく、著者の生きる姿勢、翻訳や研究に向き合う姿勢に胸打たれた出発点があるからこそ、本になった時にいいものが生まれると感じる」

東京から福岡へ

 藤枝さんは東京・八丈島生まれ、関西育ち。大学進学で上京し、その後、海外文学や詩集を手掛ける出版社「未知谷(みちたに)」に営業職で入社した。「未知谷がなければ、今の自分はない」と言うほど影響を受けた。社長をはじめ、文学に造詣の深い社員ばかりの中で、勉強しようと、自ら海外文学の読書会も始めた。会場が東京都文京区だったことから「ガイブンキョウク」と名付け、毎月の読書会のたびに課題書以外にも関連書など10冊近くを読み込んだ。福岡に移った今も読書会は続けている。

 仕事は楽しかったが、家族の介護の問題があり3年で退社。その後、書肆侃侃房の求人を見つけ、17年に福岡へ。営業職での採用だったが、「やれることは何でもやって」という社風の中、創刊準備に入っていた短歌ムック「ねむらない樹」の編集作業にも携わった。侃侃房は、創業者の田島安江さん自身が詩人であり、詩歌を出版の柱の一つとしている。ブーム以前から韓国文学の出版にも取り組み、海外文学にも注力する。18年にはカフェを併設した書店「本のあるところajiro」を開店した。「当時、書店では『短歌と海外文学は売れない2大ジャンル』と言われていた。ならば、まずは自分たちで売ってみせようと思った」と振り返る。今や作家や翻訳者らのトークイベントなども積極的に開催する発信拠点となっている。

 藤枝さん自身は営業から編集に移り、詩歌をメインで担当。「ねむらない樹」の編集長も務める。それらを「息を吸うように」やりつつ、「もう少し自由に、別の感覚で」取り組んでいるのが、冒頭に挙げた人文書や海外文学の本だ。「ちょっと余白を持って生きなければ、いいものはつくれないと思う」。そんな「余白」から話題の書は生まれている。

パンクな入門書

 担当の詩歌でも、これまでの社の方針と違うことにも挑戦し、新機軸を打ち出している。昨年11月には、異色の入門書「起きられない朝のための短歌入門」を出した。気鋭の歌人、平岡直子さんと我妻俊樹さんによる対談形式の本で、歌作を手取り足取り教える本ではない。「野球を始めるのに、フォームの解説から始めなくてもいい。大谷翔平選手の豪速球や打球の美しさを見たら、野球をやりたくなる。最善のものを見せることを意図した」と説明する。著者については「今の短歌は『共感』が主軸にあるが、共感とは別の向き合い方をしているのが、ある種、時代錯誤でパンクな2人だった」と評する。

 藤枝さんは「誠実に」という言葉をよく使う。著者に、書店員に、読者に対し、誠実であることが本づくりの根っこにある。また、何でも「やってみる」精神が藤枝さんを支える。軽やかさと誠実さと、(権力にあらがう)パンク精神が、藤枝さんの身上だ。

 話を聞き、本はやはり著者と編集者との二人三脚で生まれるものだと実感した。一冊の本が読者の手元に届くまでには、さらに多くの人の手が加わる。そのことに思いをはせたい。【上村里花】

 藤枝さんが編集者になるまでの話は「製本と編集者」(十七時退勤社)のインタビューに詳しい。

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