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「新5000円札」津田梅子の父・仙って、どんな人? ひ孫に聞いた

毎日新聞 2024年8月24日 8時15分

 佐倉藩出身の農学者、津田仙(1837~1908年)に注目が集まっている。次女の津田梅子が7月に発行された新5000円札の顔に採用されたこともあり、千葉県佐倉市役所の食堂では仙が国内で初めて栽培に成功したイチゴなどゆかりの野菜を使ったメニューが期間限定で提供されている。どんな人だったのか? 仙のひ孫で、大阪大名誉教授の津田守さん(76)に聞いた。【松尾知典】

 ――最近、仙の名前を耳にすることが多くなりました。

 ◆名前だけは知られ始めていると思います。私は子どもの頃から、津田家の家系図をそれなりに見つめていましたが、仙のことは詳しく知りませんでした。1年半ほど前から仙が生まれ育った佐倉に身を置いて、仙について勉強し、春夏秋冬を過ごす中で、佐倉の環境が仙の生き方に強い影響を与えたと実感しています。

 ――具体的には、どんな点ですか。

 ◆仙は(明治時代にベストセラーとなった)「農業三事」を出版し、教育では現在の青山学院や筑波大付視覚特別支援学校をつくりました。足尾銅山の鉱毒問題では自然環境の破壊や農民の健康被害について科学的に証明し、禁酒禁煙を呼びかける活動もしました。

 県内に移住して思うのは、とにかく食べ物がおいしい。仙が生まれた頃にも印旛沼はあり、広い田畑もあった。仙のような人が育つには最適な環境で、佐倉がなければ仙の人生はなかったと確信するようになりました。

 ――農学者と紹介されることが多いですが……。

 ◆確かに「農学者」や「梅子の父」と書かれることが大半ですが、どちらも違和感があります。国立国会図書館では仙を「学者(自然科学)」としており、言い得て妙です。自然科学者は自然科学に興味関心があり、大切に思う人。農業というくくりよりよっぽど広く、仙は自然と人間を愛した男と言えます。

 ――守さんの大伯母にあたる梅子の新5000円札が出回り始めました。

 ◆亡くなった父から、幼い頃、梅子のもとに遊びに行くと、お昼寝タイムというのがあって、英語の子守歌で寝かしつけてくれたという話を聞いたことがあります。仙と妻・初の間には5男7女の子どもがいました。17歳の時、米国から帰国した梅子には幼い妹弟がいて、母親的な役割をする側面もあったと思います。教え子もたくさんいる。とすれば、梅子は優れて母性本能にあふれ、それを発揮したわけで、「教育者」としてのステレオタイプ的な梅子だけではない一面も、もっと知ってほしいですね。

 ――7月に守さんが主催された佐倉市での新5000円札発行記念イベントでは、初のことも強調されていました。

 ◆仙をより深く、広く理解してくれる人が増えてほしいのはもちろん、津田ファミリーの一員としては、初のことも推し量っていただきたいとの願望があります。初についての歴史資料はほとんどありません。だからこそ、知る努力をしたいし、歴史研究者にはもっと初について探究していただきたいですね。

つだ・まもる

 1948年生まれ。東京都出身。専門はフィリピン社会学で、国内外の大学で長年、教育・研究にあたった。2022年11月、「津田仙のお里帰りのつもりで」と、佐倉に妻と移り住んだ。

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