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「信頼し合う社会を」 朝鮮人虐殺、埼玉で追悼式 知事は言葉寄せず

毎日新聞 2024年9月2日 11時17分

 関東大震災から101年を迎えた1日、震災下で広がったデマを信じた自警団などによって虐殺された朝鮮人犠牲者を悼む、埼玉県内の各自治体主催の追悼式典が本庄、上里、熊谷の3市町で営まれた。市民団体が大野元裕知事に要請していた追悼の言葉は寄せられず、参列者からは落胆の声も上がった。【隈元浩彦】

 旧本庄警察署などで88人が犠牲となった本庄市では、午前9時から慰霊碑が建つ長峰墓地(同市東台)で慰霊追悼式が行われた。吉田信解市長は「(本庄市は)事件のあった年から追悼行事が始まり、鎮魂の行事を継続し、犠牲者の無念に心を寄せてきた。悲惨な事件を教訓に、人と人とが信頼し合う地域社会を築くことを誓う」と慰霊の辞を述べた。

 高崎線神保原駅周辺で42人が撲殺された上里町では、同10時5分から駅近くの安盛寺で犠牲者慰霊祭が営まれた。賛助者として県、県議会も名を連ねて1952年に建立された慰霊碑前で、山下博一町長は用意した追悼文とは別に、「中学生になったころ、明治末年生まれの母から『二度と起きてほしくない』という言葉とともに事件について聞かされた。地元で起きたことはしっかり受け止めている」と言い添えた。

 旧中山道沿いの路上などで57人が殺害された熊谷市では午後1時半から、同市円光の市葬祭施設「メモリアル彩雲」で追悼式が開かれた。小林哲也市長は「流言を信じた心ない人たちによって、罪のない朝鮮人の方々が犠牲になられたことは誠に悲惨で残念。後世に正しく継ぎ、再び過ちを犯さぬことを誓う」などとする追悼の言葉を読み上げた。

 3カ所の式典に参列した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)県北部支部の河皓容(ハホヨン)委員長は「追悼の言葉」の中で「異国の地で無残にも虐殺された同胞を思い浮かべると、今も民族的怒りと無念さを抑えられない。二度と起こらないよう、血の教訓を後世に伝えていく」と述べた。在日本大韓民国民団県地方本部(民団)の崔洛文(チェナンムン)団長は「二度と惨事を起こさないためにも、『正しくない歴史』を座視できない。歴史に学ばない者は再び同じ過ちを繰り返す」と、虐殺事件を巡って一部で見られる「歴史修正」の動きを憂慮した。

 100年の節目だった2023年、そして今年と2年続けて、市民団体などが大野知事に追悼メッセージを求めていたが、「主催団体(行政)からの要請ではない」ことを理由に実現しなかった。毎日新聞の取材に、朝鮮総連県本部の李昌勇(リチャンヨン)委員長は「要請団体が民間だろうが、行政だろうが問題ではない。事件にどう向き合うかだ。東京都と同じで臭い物にふたをしたいのか」と失望感を露わにした。民団の崔団長は「昨年、大野知事が事件について『痛心に堪えない』と表明したことは評価したい。今年もどこかのタイミングで、事件全体に寄せたメッセージを出してもらいたい」と期待を寄せた。

 熊谷市の式典に参列した気象予報士の下山紀夫さん(79)は「知事メッセージがなかったのは残念。各行政が長年積み上げてきた追悼行事であればこそ、9月1日という日に、県知事としての追悼の言葉があってもよかった」と話した。

 コロナ禍で縮小開催が続いた熊谷市が5年ぶりの通常開催となり、各会場とも参列者は100人を超えた。

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 記事中の犠牲者数はいずれも1973年の「関東大震災50周年朝鮮人犠牲者調査追悼事業実行委員会」調べ。本庄市の犠牲者数について吉田市長は、あいさつで「86あるいは87人」と数字を挙げた。

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