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207の慰霊碑にささげる祈りの旋律 被爆ピアノと巡る2人の思い

毎日新聞 2024年9月4日 9時16分

 音楽で原爆犠牲者たちを追悼しようと、広島市内各地にある原爆死没者慰霊碑で被爆ピアノの追悼演奏が行われている。被爆80年となる2025年8月までに市内全207カ所を巡る予定。主催する「被爆ピアノ友の会」の手島秀昭会長(81)と被爆ピアノの所有者で調律師の矢川光則さん(72)に活動への思いを聞いた。【山本尚美】

 手島さんは「被爆80年の節目が過ぎれば、戦争や核兵器に反対する声が小さくなっていくのでは」と危惧していた。対立が深まる世界情勢の中、身近にある慰霊碑の存在を見直すことが「平和を推進する気持ちを呼び起こすきっかけになるのでは」と思い立った。

 当初、市内の慰霊碑を50~60カ所と見込んでいたが「207カ所もあって驚いた」と苦笑する。だが、高齢の身を奮い立たせ、すべてを回り演奏する覚悟を決めた。

 慰霊碑は、学校で犠牲となった生徒や病院で被爆死した職員らを悼むため各団体が独自に建立したものだ。市が把握する207基の管理は各団体が担っている。

 手島さんたちは1月から7月中旬までに約30カ所を巡った。草に埋もれたり、傾いたりしている慰霊碑もあった。簡単に掃除をし、各地域で募った人にピアノを演奏してもらう。これまで開いてきた被爆ピアノコンサートとは違い、ただ犠牲者にささげるための演奏だ。

 ある碑では、近くの住民から「なぜ忠魂碑に向かって被爆ピアノが慰霊をするのか」と疑問を投げかけられた。広島市では原爆死没者が、戦死兵とともに「忠魂碑」に祭られているケースがある。「碑の歴史を知る機会がないから仕方ない」。市民には、犠牲者の名前も碑に刻まれていることを説明した。

 小規模な演奏のため、市民からの関心はまだまだだ。「各地域の人にもっと活動に関わってほしいのが本音。そうなるように回っているんだから」。各碑でピアノ演奏を地域の方にお願いしているのもそのためだ。

 矢川さんも碑巡りにかける思いは同じだ。7月16日に開いた広島市役所職員慰霊碑前での演奏には、特別な思いを感じながらピアノを運ぶ大型トラックに乗った。他界した父が市役所のすぐ西にあった消防署で勤務中に被爆していたからだ。

 父は薬をほとんど飲まず、1カ月間も生死をさまよった。家族が懸命にドクダミ茶を飲ませ「たくさん虫を吐いて、それから元気になった」と祖母が話していた記憶がある。

 1997年、父が78歳で亡くなってしばらくの間、父親を思い出すのがつらくて原爆ドームやその周辺にあまり近づかなかった。その翌年に被爆ピアノを譲り受け、2001年から「平和の種まき」として被爆ピアノの音色を全国に届け始めた。

 矢川さんは今回の活動で、市中心部から離れた場所にある碑が神社や学校などに多いことにも気づいた。「家にたどりつけなかった人が、こういう場所に集まって亡くなっていったのだろう」。悲痛な最期に思いを寄せ、「一人一人が戦争や平和、核兵器という問題を自分に引き寄せて考えてほしい」と強調した。

 80代と70代の2人は、いずれ来る自分たちの平和活動の終わりも見据えながら活動を続ける。「207カ所回り終えられるよう、しっかりお尻をたたいてよ」。夏の日差しに汗を拭いながら、手島さんは笑った。

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