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亡き人との約束、探し続けたレコード 70年前の「芳賀音頭」復活

毎日新聞 2024年9月8日 10時0分

 「真岡木綿や益子焼、五行川、逆川、雨巻山…」と、芳賀郡市の名所や文化をうたい上げる「芳賀音頭」。約70年前に作られ、かつては宴会などでうたわれていたがいつしか埋もれ忘れられてしまった。この名曲が同市の不動産業、助川克一さん(69)によって復活し栃木県真岡市制施行70周年を迎えた今年、1日から岡部記念館「金鈴荘(きんれいそう)」(同市荒町)でBGMとして流れている。金鈴荘の主人と復活を約束した助川さんが長年奔走し、唯一残るレコードを譲り受けるまでの経緯を追った。【松沢真美】

 芳賀音頭は、昭和の大合併で真岡市や芳賀、益子、市貝町が誕生する前年の1953年、芳賀商工会議所(現真岡商工会議所)が制作した。旧塩原村(現那須塩原市)出身で野口雨情を師とする詩人・泉漾(よう)太郎が作詞、洋画家の青木繁と芳賀町の福田たねを両親に持つ音楽家・福田蘭童が作曲。10番まであり、大合併前の芳賀郡全体の名所や特産品がうたわれている。

 助川さんと芳賀音頭の出会いは30年ほど前のことだ。仕事などで付き合いがあった金鈴荘の最後の主人・故岡部愛子さんが鼻歌で歌っているのを聞いた。

 金鈴荘は、明治中期に建てられ52年までは岡部呉服店を営む岡部家の別荘だった。その後88年6月まで料亭として使用され、同年8月に市が近世百年の歴史・文化遺産として保存することを決定した。現在は一般に公開されている。建造物は県の有形文化財、石塀は市文化財の指定を受けている。

 岡部さんは、料亭だった当時の金鈴荘で、真岡芸妓連の三味線と唄をコロムビアレコードが録音し、レコード化したと教えてくれた。戦後9年、日本経済がまだ困難な状況の中でレコード化に至った経緯に興味を持った助川さんは、岡部さんとレコードを見つけることを約束した。

 助川さんが唄について調べ始めると、作詞家の情報や唄の一部を歌える人など少しずつ概要が判明してきた。2017年には作詞した泉の生家である那須塩原温泉郷の和泉屋旅館にレコードが残っていることがわかった。助川さんは「不思議なことに次々に救世主が現れた。レコードを見つけるまでに奇跡のような出会いが重なった」と話す。

 助川さんは同旅館を訪ね、レコードの音源を元に採譜。19年の音楽イベントでは、地元民謡団体が再現した。この3年前に岡部さんは亡くなってしまったが、「これで岡部さんとの約束を果たせた」と調査に一区切りをつけた。

 今年、市が市制施行70周年記念事業のアイデアを募集していることを知り「地元の唄を多くの人に知ってほしい」と、金鈴荘内で芳賀音頭を流すことを提案。7月に和泉屋旅館が廃業したことを知り、レコードについて聞きに行ったところ譲り受けることになった。

 市はレコードの提供を受け、金鈴荘でBGMとして流すことを決定。当時の演奏そのままの唄は、訪れた人たちに華やかだった時代を思い起こさせている。助川さんは「地元の魅力が詰まった貴重な財産。岡部さんとの約束を守りたい一心で復活できた。市の歴史に興味を持ってもらい、周辺の散策につながれば」と話している。

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