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ゴジラやラドン 特撮の神様支えた美術監督・井上泰幸の「セカイ展」

毎日新聞 2024年9月6日 10時15分

 「特撮の神様」と呼ばれる円谷英二氏(1901~70年)らと共に、昭和の「ゴジラ」シリーズなど東宝特撮映画の黄金期を支えた特撮美術監督、井上泰幸氏(1922~2012年)の足跡をたどる「井上泰幸のセカイ展」(福岡県古賀市など主催)が7日、出身地・古賀市のリーパスプラザこがで開かれる。井上氏の評価を高めた「空の大怪獣ラドン」(1956年)で破壊される福岡市・天神の旧岩田屋デパート(現パルコ)のミニチュアが精密に再現され、特撮ファン以外も楽しめる内容。主催者は「作品を通じ、井上氏の人間性に触れてほしい」と話す。10月6日まで。入場無料。【荒木俊雄】

 井上氏は糟屋郡小野村薦野(現古賀市薦野)に医者の五男として生まれた。戦時中、洋上警戒中に米軍の機銃掃射で左足を失い、戦後は家具作りを経て日大芸術学部美術科に進学。家具作りでの図面引きや製作経験が役立ち、在学中から近くの撮影所で特撮美術を手伝い、「ゴジラ」(54年)を皮切りに「ラドン」や「モスラ」(61年)、「キングコング対ゴジラ」(62年)などで才能を発揮。「日本沈没」(73年)、「戦国自衛隊」(79年)、「首都消失」(87年)などのSFやコメディー、テレビの特撮などで幅広く活躍した。

 姪の東郷登代美さん(74)=東京在住=によると、井上氏の仕事はミニチュアセット作りが多く、怪獣が壊すビルや橋などのデザインから設計、製作までこなした。「ラドン」では、ラドンが舞い降りる岩田屋周辺を連日歩測し、傾いた看板なども忠実に再現。長く仕事を共にした同作の特撮監督、円谷氏を「写真通りじゃないか」と驚かせたという。

原点は差別、反戦

 井上氏の家系には医者が多く、「ラドン」で評価が高まるまでは、片足で就職や結婚が困難とみた親戚から「特撮など、やくざな仕事をするな」と言われ続けた。だが、当時交際中だった妻への手紙には「体のことは隠し、どんな仕事でも徹底的にやる。足のことが知られた頃には仕事は人より先を行っている」と書き、障害を克服しようとした強い決意を示していた。

 また「99%死を覚悟していた戦争中、生きて帰ることが出来れば、どんなに苦しい仕事でもすると誓った」「戦争は純粋な若者を洗脳して行わせる悪だ」など、戦争体験が奮起の根底にあったことをつづっていたという。

 東郷さんは「義理堅い面もあり、温厚な円谷さんと現場で何度も衝突したようだが、円谷さん亡き後も顔写真をずっと手帳に入れていた」と振り返る。

 岩田屋の模型は22年に東京で開かれた生誕100年記念での展示品を再現し、関連資料の展示などもある。21日午後1時からは井上氏も参加したテレビ「ウルトラQ」上映会と、井上氏を師と仰ぎ平成ゴジラシリーズで特撮美術監督を務めた三池敏夫さん、東郷さんのトークショー(入場500円)▽22日午後1時からは田辺一城市長も交えた座談会がある。市文化課(092・944・6214)。

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