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移転100年迎えた国立天文台 アナログ式も 歴史を物語る観測機器

毎日新聞 2024年10月14日 17時0分

 国立天文台(当時は東京天文台)が東京都三鷹市に移転して、今年9月で100年を迎えました。

 日本で継続的に天体観測が始まったのは江戸時代後期。1888(明治21)年に東京天文台が麻布(東京都港区)で発足します。しかし、都市化によって空が明るくなり、当時の三鷹村大沢への移転が決定。工事開始から10年を経て、1924年に移転が完了しました。

 住宅街に囲まれた国立天文台三鷹キャンパスは、うっそうとした森の中にあります。昔の航空写真を見ると周囲の木々の高さは低く、周りに建物もほとんど見あたりません。今では都市化の波にのみ込まれて天の川も見られず、観測拠点の多くは国内各地や、ハワイ、チリへと移りました。

 三鷹には、日本の天文学の黎明(れいめい)期を支えた歴史的な観測機器や建物などが残されています。連載「星空と宇宙」、今回は国立天文台三鷹キャンパスに残る文化財を紹介します。

 まず最初は「第一赤道儀室」です。21年に完成した、三鷹キャンパスに現存する最古の建物です。ドーム内の口径20センチ屈折望遠鏡は、38年から約60年間、太陽黒点のスケッチ観測に使われました。

 ドームの回転や開閉は全て手作業。赤道儀はガバナー式という、重りを利用した駆動方式(重錘<じゅうすい>時計駆動赤道儀)で、電気に頼らずに太陽を自動で追尾できます。なんともアナログな観測機器ですが、現在もドームや望遠鏡は稼働し、ドーム内が高温になる夏季を除いて土日に太陽観察会も行われています。

 続いて、三鷹キャンパスのシンボル的存在「大赤道儀室」です。26年完成でドームの直径は14・5メートル。内部には口径65センチ、焦点距離10メートルのドイツ製屈折望遠鏡が収められました。

 この望遠鏡は60年に国立天文台岡山天体物理観測所に188センチ反射望遠鏡が設置されるまで、国内最大口径の望遠鏡でした。方向によって観測者の高さを変えるため、かつては床面を上下させることができました。98年に研究観測を終了し、現在は「天文台歴史館」として公開されています。

 東京天文台の重要な仕事に、星の位置を正確に求めることと、暦の計算、日本標準時を定めることがありました。現在展示されている数々の機器の中には、「子午儀」や「子午環」という望遠鏡が大小多数あります。これらは、星が子午線(真北から天頂を通って真南に至る線)を通過する正確な時刻を観測し、正確な星の位置を調べるための機器です。

 中でも1960年ごろまで使われた1880年ドイツ製の「レプソルド子午儀」は、国の重要文化財に指定されている貴重なものです。現在は「子午儀資料館」となっている「レプソルド子午儀室」の中に展示されています。

 他にもアインシュタインの一般相対性理論にまつわる現象を観測しようと建てられた「太陽塔望遠鏡(アインシュタイン塔)」や、日本で最古となる星々の写真(星野<せいや>写真)を撮影した「ブラッシャー天体写真儀」。半世紀以上にわたり月や惑星・恒星の位置観測に使われた「ゴーチェ子午環」と、今年で建設100年を迎えた「ゴーチェ子午環室」。日本標準時を示す時計として使われた「リーフラー時計」など、大小さまざまな観測機器や建物があちこちにあります。

 これらの観測機器は、倉庫の片隅で長らく放置されていたものもあったといいます。古い観測機器の保存や展示に尽力した国立天文台の渡部潤一上席教授によると、国立天文台にはこうした古いものを責任を持って保全・保管していく部署がなかったそうです。

 今秋には、国立天文台にかつてあった「アーカイブ室」を再度立ち上げる予定で、「学問発展の歴史を語る事物を、組織として今後もしっかりと後世に伝えていきたい」とコメントを寄せてくれました。

 国立天文台三鷹キャンパスでは、年末年始と、今年は11月9日(土)を除く毎日、午前10時から午後5時まで構内の一部を無料公開し、記事で紹介した施設も見学可能です。また、10月19日(土)には年1度の特別公開イベント「三鷹・星と宇宙の日」が開催されます。普段は非公開の太陽塔望遠鏡内部などが見られるほか、記念講演、天体観望企画などを予定しています。詳細は国立天文台の公式ウェブサイトを確認してください。【手塚耕一郎】

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