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空気の次に大切なものだった森林鉄道 未来へ残すために

毎日新聞 2024年10月19日 16時0分

 「集落が一面に見えるところでプーッと(警笛を鳴らす)。無事帰ってきたよという合図なんだ」

 長野県王滝村の滝越地区に住む三浦征弘さん(86)は約50年前、山間を走る通学列車「やまばと号」の運転士だった。

 列車が走ったのは「森林鉄道」と呼ばれる木材運搬用の鉄道。川を使った輸送から転換を図るため、明治の終わりごろから全国各地に整備された。最も長い時には木曽地域だけでも延長約500キロに及び、木材だけでなく地域住民の移動や生活物資の輸送にも使われた。

 やまばと号は1959年に運行を開始。分校で学んでいた子どもたちを村中心部の本校に通わせるため、片道約12キロを1時間近くかけて走った。

 大人が両手を広げれば、左右の窓に手が届くほどの小さな客車。道のりは険しく、目の前で土砂崩れが起きたこともあった。それでも、交通手段のない地区の人々にとって「空気の次に大切なもの」だったという。

 木材の輸送がトラックに代わり、75年までにほとんどが廃線になった。三浦さんは77年に運転士としての経験を著書にまとめ、今年6月には地区の公民館に資料を展示するスペースも作った。当時を知る人が少なくなる中、「できるだけ事実を残したい」と話す。

 隣の上松町では87年、路線の一部が観光用として復活。運行に携わる藤原孝秀さん(87)もかつての運転士だ。「高いところから見下ろし、風を切って走るのが気持ちよかった」と振り返る。最近は当時の機関車を動かせるよう修理も試みている。「木曽谷の林業の近代化をけん引してきた機関車。放っておくのはもったいない」

 王滝村の松原スポーツ公園では地元有志や鉄道愛好家らによって当時の車両を動く状態で保存している。6日に開かれたイベントではヒノキを載せ、当時さながらに走行。客車への体験乗車などもあり、県内外から約800人が訪れた。

 山を挟んだ反対側の岐阜県下呂市小坂町でも、地元有志らによって、温泉施設の駐車場脇に約100メートルの線路を敷設。地元で使われた機関車はすでに失われてしまったが、木曽地域で使われた車両などを動態保存し、かつて存在した景色を後世に伝えようとしている。

 各自治体は森林鉄道を地域振興に活用しようと模索している。しかし、保存には多額の費用や人手が必要で、ボランティアに頼っていることも多い。中には手が回らず朽ちていく遺構もある。

 全国森林鉄道保存活用団体連絡協議会の矢部三雄事務局長(67)は「先人たちの活動を学ぶことは今を生きる人にとってヒントになる。一人でも多くの人に関心を向けてほしい」と話した。【渡部直樹】

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