東洋独自の花鳥画を追究した日本画家で文化勲章受章者の上村淳之(うえむら・あつし、本名・淳=あつし)さんが1日、老衰のため死去した。91歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は次男隆司(たかし)さん。
日本画家、上村松篁(しょうこう)の長男として、京都市で生まれた。祖母は女性で初めて文化勲章を受章した上村松園。京都市立美術大(現・京都市立芸術大)日本画科を卒業、同大専攻科を修了した。
父の松篁同様、一貫して表現の深化に努めてきたのが花鳥画だった。3万3000平方メートル超の広大な敷地を誇る自宅、唳禽(れいきん)荘でさまざまな種類の鳥を飼育し、繁殖に取り組み、鳥をモチーフにした作品を発表した。徹底した写生に基づきながらも精神性を大切にした。
明け方の水辺に集うホウロクシギを端正な筆致で描いた出世作「晨Ⅰ・Ⅱ」は1978年の第5回創画展で創画会賞。95年に「雁金」で日本芸術院賞を受賞した。2002年日本芸術院会員、13年文化功労者、20年旭日中綬章、22年には親子3代連続となる文化勲章を受けた。
作画活動の傍ら、母校の京都市立芸術大で長年、後進の指導に当たり、教授、副学長を歴任。創画会理事長も長年務めた。奈良・平城宮第一次大極殿内壁画を制作したり、京都・祇園祭の大船鉾(おおふねほこ)の天井画を手掛けたりするなど日本の歴史や伝統文化の継承にも力を注いだ。