第二次世界大戦末期の沖縄戦で「ひめゆり学徒隊」として戦場に動員され、戦後は移住先の埼玉県と故郷の沖縄県を行き来し、全国各地で沖縄戦の講演活動に励んだ与那覇百子(よなは・ももこ)さんが8日、老衰のため亡くなった。96歳。告別式は11日午後1時、那覇市首里赤平町2の54の天理教首里分教会。喪主は長男満(みつる)さん。
那覇市出身。1945年3月、沖縄師範学校女子部在籍中に学徒動員され、負傷兵を看護した。6月に沖縄本島南部をさまよい、米軍の捕虜となった。戦後、米軍基地内の売店や幼稚園で働き、55年に沖縄を離れ、東京や埼玉で生活。65年ごろから関東地方を中心に、沖縄戦で父と姉2人、学友らを亡くした悲しみや平和の尊さを語り継いだ。2005~08年と12~18年には「ひめゆり平和祈念資料館」(沖縄県糸満市)の証言員を務めた。著書に「生かされて生きて」。児童書「ももちゃんのピアノ」のモデルにもなった。