生まれたときは、唇も鼻も耳もなかった。先天性異常の一つである「口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)」の女性が、20回以上にわたる手術を乗り越え、当事者や親のサポートに取り組んでいる。偏見や挫折に直面しながらも、生きる意味を見つけた女性は訴える。私たちに産んでごめんねと言わないで――。
口唇口蓋裂は唇や上あご、口の中が割れた状態で生まれる先天性の疾患で、日本人の赤ちゃんのうち500~600人に1人の割合で発生するといわれている。
大阪市の小林栄美香さん(30)は、生まれた時に重度の口唇口蓋裂が判明した。唇の形成が不十分で生後3カ月で唇を閉じる手術を経験。耳たぶをつくるために骨や皮膚を移植するなど、27歳までに20回以上の手術を受けてきた。カルテにあった乳児期の写真を初めて見た時は「想像以上の姿にびっくりした」と振り返る。
自分の見た目を意識し始めたのは4歳ごろ。保育園で友だちに容姿をからかわれ、幼心に「空気になろう」と思った。
思春期は人間関係がうまくいかずに不登校になった。街を歩いていても通り過ぎる人から好奇の目で見られたり、指を差されたりする日々に生きていくのが怖くなった。他人の目線が気になって、マスクが外せなくなった。
親に心配をかけないように風呂場でシャワーを出しながら泣いた。自傷行為に走ったこともある。「病気の自分の存在を受け止めきれなかった。誰にも弱さを見せられなくて、自分の中だけに抱え込んでしまった」
殻に閉じこもった小林さんを支えてくれたのは高校時代に出会った友人たちだった。
入学した通信制の高校にはさまざまな事情を抱えた同級生がいた。「つらいのは私だけじゃない」。思いを共有できる人が近くにいることで、友達のために頑張ろうと前向きになれた。メークを研究するようになると、見た目を気にすることはなくなった。「今思えば、自分自身が一番偏見を持っていた気がします」
同じ治療を頑張っている当事者や親たちと思いを共有できないか――。9年前に同じ疾患を持つ子の母親に患者会がないことの悩みを打ち明けられたことをきっかけに、大阪市内で交流会を開いた。「見た目の傷で心まで傷つく必要がなくなる社会を目指したい」。20年にはNPO法人「笑みだち会」(メール=info@emidachikai.org)を立ち上げ、代表になった。
小林さんのもとには、出産したばかりの母親から「どうしたらいいのか分からない」と泣きながら連絡がくるなど、さまざまな状況におかれた当事者や家族から相談が寄せられる。
患者の心をむしばむのは社会の偏見や無理解だ。小林さんは「多くの人に病気や患者のことを知ってもらうことで、その壁を取り払いたい」と語る。
口唇口蓋裂の症状はさまざまで、患者も十人十色。それぞれに悩みがあって、人生がある。「自分が発信することで、生きてて良かったということを伝えたい」。暗闇の先に見つけた光を信じている。【芝村侑美】