源氏物語はどんな和紙に書かれたのか。NHK大河ドラマ「光る君へ」では紫式部が藤原道長から大量の越前紙(福井県産)を受け取ったと描写されるが、史実は不明だ。そこに一石を投じようと、兵庫県多可町の元町長、戸田善規さん(71)=同町=が和紙の歴史を考察した著作「紫式部が愛した紙」を出版した。同町は県指定の伝統的工芸品「杉原紙(すぎはらがみ)」の産地。古里の逸品のことを伝えたいとの思いが込められた一冊だ。【村元展也】
「大河ドラマが始まった時、これはチャンスだと思いましてね」
県中央部の山間地、同町加美区(旧加美町)の杉原谷にある町立「杉原紙研究所」。こう語り始めた戸田さんは旧加美町に生まれ育ち、旧加美町長と合併後の多可町長を17年余り務めた。在任中から杉原紙のPRに力を入れ、退任後は研究所に隣接する和紙博物館で語り部をしながら歴史研究に取り組む。
かねて「源氏物語は杉原紙に書かれたのでは」と考えてきたが、ドラマをきっかけに裏付けのために改めて大量の文献を読み、数カ月で原稿を書き上げた。
杉原紙が登場する最古の文献は関白・藤原忠実の日記「殿暦(でんりゃく)」の1116(永久4)年7月の記述。「椙原(すぎはら)庄(杉原庄)紙」が摂関家伝来の宝物と同列のものとして挙げられている。源氏物語が書かれた時代から100年余り後のことだ。
戸田さんは、平安時代の貴族に関するさまざまな文献調査から「椙原庄」は藤原氏の荘園で、その経営は道長の時代までさかのぼることを確認。貴重品である紙の産地として代々、受け継がれたと考察した。摂関家が杉原紙を重用していたことは確かで、道長が娘の彰子に仕える紫式部に渡した和紙も杉原紙と考えられるとの自説をまとめた。
そもそも杉原紙とはどんな和紙なのか。播磨地方は奈良時代からの和紙の産地。中でも杉原谷で産出される杉原紙は高品質で、室町時代には「杉原」の名は和紙を代表する存在となり、江戸時代に最盛期を迎えた。
しかし、明治維新後の産業転換に伴って衰退し、大正期に消滅した。昭和初期に和紙研究者が杉原谷を訪れ、杉原紙の産地であることを実証。同40年代に顕彰の機運が高まり、1970(昭和45)年に職人の手で半世紀ぶりに復活した。72年に旧加美町が杉原紙研究所を設立し、今も同研究所に勤務する職人の手で生産されている。
「光る君へ」の紫式部は思い出の地である越前の紙に筆を走らせた。戸田さんは「ストーリー性を追う脚本家の想像でしょう」と笑みを浮かべ、自身の執筆の意図をこう語る。「杉原紙は摂関家だけでなく武家や神社仏閣でも重用された日本で一番いい紙だった。なのに今では名前すら知られていないのは、私たち地元関係者のPRが足りていないから。これを機に広く知ってもらいたい」
若い研究者や学生に手にとってもらえればと、発行5000冊のうち1000冊を全国の大学図書館や県内ほぼ全ての高校などに献本した。「もう日本史や郷土史から消えることはないでしょう」。少し安堵(あんど)した表情を浮かべた。
四六判172ページ。1980円。問い合わせはスタブロブックス(加東市、0795・20・6719)。