沖縄県の玉城デニー知事は28日の定例記者会見で、第二次世界大戦末期の沖縄戦を指揮するために旧日本軍が那覇市の首里城地下に掘った第32軍司令部壕(ごう)を29日付で県史跡に指定すると発表した。「『住民を巻き込んだ組織的持久戦の展開』という方向性を決定づける判断がされた場所として重要」とした。沖縄戦の遺構を県の史跡に指定するのは初めて。
壕は第32軍が1944年12月に構築を始め、45年3月下旬以降、牛島満司令官らが壕内から作戦を指揮した。兵士や動員された学生ら約1000人がいたとされる。沖縄本島に上陸した米軍が迫り、45年5月に司令部が南部に撤退するまで使われた。戦後に壕に入った米軍の記録によると、総延長は863メートル以上。一部が崩落し、現在は立ち入りが禁止されているが、県は公開に向けた検討を進めている。
玉城知事は「戦争体験や教訓の風化が懸念される中で、戦争の不条理さ、残酷さ、醜悪さを知るとともに、平和の尊さを伝える重要な遺跡だ」と述べた。【宮良貴和子】