山形県長井市在住の農家ら4人組のフォークソンググループ「影法師」が結成50年目を迎えた。これまで100曲以上を世に送り出し、東北の地域に根ざし、生活の中で感じた思いや社会、政治の問題を鋭いメッセージに込めて歌い続けてきた。
23日、同市置賜生涯学習プラザのステージにボーカル・ギターの横沢芳一さん(71)、バンジョーの遠藤孝太郎さん(72)、マンドリンの船山正哲さん(66)、ベースの青木文雄さん(71)が立った。250人以上詰めかけた観客の前で初期の歌から新曲を合わせ、14曲を披露した。
50年目を迎え、メンバーのほとんどが70歳を超えた。「先が見え、もう長くはない。若い人たちがこれからの世の中を作っていくが、我々年寄りが今のうちに言いたいことを言っておこう」と、「遺言その1」と名付けたイベントを企画した。
1975年に結成。バンド名もメンバーたちとたまたま手に取った詩集の言葉が目に留まり、「影法師」と名付けた。
存続運動が行われていた国鉄長井線(現フラワー長井線)を舞台に若者たちの青春を描いた「今日もあの娘は長井線」(1981年)や、政府の農業政策に疑問を持った農家の心情をつづった「ある農業青年の主張」(85年)などを発表した。
今年8月に82歳で亡くなった、メンバーが「師匠」と仰ぐ関西フォークの第一人者の高石ともやさんからも大きな影響を受けた。「フォークソングの何たるかを学んだ。自己満足で終わるのではなく、歌という形で人に何かを伝えることの大切さを知った」と作曲を担当する横沢さん。ステージングを含め、未熟だったバンドが鍛えられたという。86年から加入した船山さんも「節目節目に人との出会いに恵まれた。多くのことを学び、育ててもらった」と語る。
東北にトラックで運び込まれる首都圏からのゴミ処理問題を扱った「白河以北一山百文」(91年)では地方と首都圏の格差、価値観の違いを表した。長井市を拠点としているが、ライブなどで全国の地方を回る中で、どの地方も置かれている立場や問題は同じだと感じ、歌の力で他の地域の人と共有することができることを確信したという。
2011年の東日本大震災後、メンバーは福島県飯舘村などを訪れた。原発事故で誰もいなくなった故郷の姿を描いた「花は咲けども」(2013年)はテレビで流れる復興支援ソング「花は咲く」を聴き、自分たちの思いを投影させて作り上げた曲だ。「実際に足を運び、世間や社会にどう届けたらいいのか。歌うことで、福島の現実を少しでも伝えたかった」と作詞を担当する青木さんは振り返った。
今回のイベントで披露した新曲「あの頃の若者たちへ」は先の衆院選など今の政治状況やSNS(ネット交流サービス)の情報に流される世の中に危機感を覚えて作った。
♪民主主義を 嘲(あざけ)る輩(やから)が ネットの上を のし歩く 軍拡煽(あお)る 言葉が溢(あふ)れ 平和を求める 声をかき消す
アホ・バカ・タンコロ ギッタレこの国 正すのが 俺んだの 最後の仕事だべ
来場した「影法師」と長年交流を続けている酒田市出身の評論家、佐高信さん(79)は「疑うことは決して悪いことではない。信じることからではなく、疑うことから出発するのが『影法師』の精神だ」と評した。
「プロの歌手が歌えないようなことをアマチュアだからこそ50年間歌い続けることができた」と青木さんは話す。今もメンバーが持ち寄った詞について議論をして曲を作り上げていく。その過程が今も刺激的だという。「賛否あると思うが、対面でお客さんからどのような反応が返ってくるかが楽しい。体力が続く限り、音楽の息づかいを感じられる場所を作っていきたい」と遠藤さんは意気込む。老いてなお盛んな彼らの「遺言」にはまだ続きがありそうだ。【竹内幹】