カツオ漁で栄えてきた沖縄県本部町には、1972年の沖縄の日本復帰より前に建てられた町営市場が残る。地域住民の買い物と憩いの場として長年親しまれ、近年は若い世代の新たな取り組みや、レトロな雰囲気で注目を集めてきた。そんな市場が現在、解体を巡って揺れている。
市場は66年、町制25周年を記念し、木造から2階建て鉄筋コンクリート造りに建て替えられた。当時の地元紙によると、「祝い幕、のぼりなどをかかげて町を飾り立て、小中学校も午後からは臨時休校で町は朝からお祭りムードでいっぱい」だったという。
1階には鮮魚店はもちろん、精肉店や衣料品店など、さまざまな商店が並び、幅1・5メートルほどしかない通路を大勢の買い物客が行き交った。ホールになっている2階では、毎年成人式やクリスマスパーティーも開催。68年にホールで結婚式を挙げた友寄隆英さん(84)、恵子さん(81)は「町長をはじめ、四、五百人が集まった」と振り返る。
75年に同町で開かれた沖縄国際海洋博覧会の前後は、工事関係者や観光客も大勢訪れたが、そのころをピークに活気は徐々に失われていく。複数のスーパーが町内に進出したことも、客離れに拍車をかけた。
衰退に歯止めをかけようと、祖母が市場で洋服店を営んでいた知念正作さん(45)らを中心に、2006年から市場の一角で「もとぶ手作り市」を毎月開催。工芸品や農作物、飲食品など、プロ・アマを問わず多くの商品が持ち寄られて評判となり、市場で新たに店を出す若い世代が増えた。映画や写真集のロケ地にもなり、町内外の人が集う新たなコミュニティーが形成されつつあった。
しかし、新型コロナウイルスの流行をきっかけに手作り市は20年から不定期開催になり、閉業する店も。そんな中で今年に入り、町は老朽化を理由に市場の解体を商店主たちに通達。新規出店の募集は停止され、41区画中6区画が空いている。
現時点で解体後の方針は示されていない。地元住民や商店主らは町に話し合いを求め、市場の存続を求める署名はオンラインを含め3000筆を超えた。手作り市も来年2月、約2年ぶりに復活する予定だ。市場を歩くと、なじみの買い物客はもちろん、放課後に集まる中学生からも「なくなると困る」という声が聞かれた。一方で「解体は仕方ない」と語る高齢の店主もいる。
日本復帰前に造られた建造物が次々と姿を消す中、地域の歴史を物語る本部町営市場の行く末はどうなるのだろうか。【喜屋武真之介】