大阪・北新地のクリニック放火事件3年
大阪・北新地の心療内科クリニックで2021年12月に起きた放火事件は、17日で3年となる。いつも真っすぐこちらを見つめ、人生のチャレンジを後押ししてくれた「先生」は、事件で命を奪われた。あの日をきっかけに、孤立を感じる人が集まれる場所を作りたいと考えるようになった元患者の女性。「先生にもらった命で精いっぱい頑張っているよ」。今年も現場を訪れ、心の内で語りかける。
大阪市の池田桃香さん(28)は小学生の頃に自閉スペクトラム症(ASD)と診断された。好きなことにはのめり込むが、周りと合わせることが苦手といった特性がある。大学卒業後に勤めた会社で口頭による指示に理解が追いつかず、職場の人間関係に悩むこともあった。2019年ごろ、大阪市北区にあった「西梅田こころとからだのクリニック」にカウンセリングに通い始めた。
悩みを聞いてくれたのが、院長の西沢弘太郎さんだった。待合室は受診待ちの人でいつもいっぱい。それでも西沢さんは必要に応じて長めの診察時間を確保し、池田さんの目をじっと見て話に耳を傾けてくれた。「しんどいことは周りにちゃんと伝えた方がいいよ」。明快なアドバイスに気が楽になった。
転機後押ししてくれた院長
「人生の転機を先生が後押ししてくれた」と池田さんが振り返るのが、21年に始めた1人暮らしだ。当時、障害の特性をなかなか理解してくれない両親とぎくしゃくし、親元を離れる決意をした。貯金をし、不動産屋で1人で物件を選んだ。
月1回の通院のたびに引っ越し作業の進み具合や、新生活への不安を西沢さんに打ち明けた。西沢さんは「環境を変えてみるのも大事だよ」と決断に理解を示してくれた。いよいよ引っ越しが迫った11月も「よかったな、頑張って」と後押ししてくれ、前向きな力がわいた。
12月に引っ越しを終え、年末の診察で新居の様子を伝えられたらと思っていた。しかしこの月の17日、家族からの連絡を受けて目にしたニュースで、クリニックが放火されたことを知る。当時49歳だった西沢さんを含め計26人が犠牲になった。
相談に乗ってくれていた西沢さんを失い、始まった1人暮らし。夜に部屋にいると、自分が事件に巻き込まれてもおかしくなかったことや、無念にも人生を絶たれた人たちのことが頭に浮かんだ。
「亡くなった人たちからもらった命。これからの人生は後悔なく生きよう」。実家にも職場にも居場所がないと感じてきたという池田さん。西沢さんと話せるクリニックは自分らしくいられる場所で、「私も、誰もが気軽に通える場所を作りたい」と思うようになった。
誰もが通える場所を
社会人になってから趣味で始め、めきめき上達した「けん玉」でその場所を作ることに決めた。市の子育て支援施設などでボランティアで指導したり、こども食堂や地域のイベントを訪れて得意の技を披露したりするようになった。
けん玉を教えていると、学校や職場、家に居場所を見つけづらいと打ち明ける人もいる。ある小学生の男の子は発達障害があり、言葉でのコミュニケーションが苦手だ。そのためか、会話をしなくても練習できるけん玉に夢中になった。学校には通えていないが、さまざまな世代がいるけん玉教室には喜んで通うようになったという。池田さんは、その子が苦手とする自己紹介などは「パスしてもいいよ」と声をかけ、一緒に練習を重ねることで打ち解けていった。
そんな時、西沢さんのことを思い出す。「いつも応援してくれたおかげで、私は孤立せずに社会とのつながりを広げることができた」
普段使っている長財布には、今もクリニックの診察券を大事に入れている。その診察券を見ながら池田さんは言葉に力を込めた。「今度は私が人のつながりを作る立場。『ここなら私らしくいられる』という場所で、誰かを支えたい」【斉藤朋恵】