Infoseek 楽天

能登へ届け、コーヒー1万杯のぬくもり 岩手からの「恩返し」

毎日新聞 2024年12月21日 9時0分

 能登半島地震の被災地に岩手から通い、避難所や仮設住宅で温かいコーヒーを振る舞う男性がいる。発生直後からキッチンカーで毎月のように訪れ、これまでに1万杯を提供してきた。「あの日の恩返しになれば」。厳しい寒さが続く能登地方で、豆から選んだこだわりの一杯が被災者の体と心を温めている。

キッチンカーで800キロを移動

 「あっ、岩手のお兄ちゃんだ」「ほっとするね」

 12月1日午前、石川県七尾市中島町の集会場にキッチンカーがあった。そばにあるプレハブの仮設住宅から出てきた住民たちが次々に紙コップのコーヒーを受け取り、笑顔が広がっていく。

 1人で切り盛りするのは岩手県釜石市の自営業、岩鼻伸介(いわはな・しんすけ)さん(47)。この場所を訪れたのは8回目になる。

 2人で来た浦上幸子さん(74)と加賀竹美さん(74)は「避難所にいた時から来て、温かいコーヒーと言葉をくれる」「『あなたたちを見放さないよ』という気持ちが伝わってきて涙が出る」と語った。

 岩鼻さんは1月中旬から12月初めまでに、キッチンカーで能登半島を10回訪問してきた。片道800キロ近い道のりを、15時間ほどかけて運転。毎回1週間前後、避難所や仮設住宅を巡り、普段は1杯500円のコーヒーを無料で振る舞う。

 フェアトレードの豆を自家焙煎(ばいせん)した、苦みの少ない浅煎りが定番。「災害で傷ついた人に苦い思いはしてほしくない」からだ。

 自宅が全壊し、2DKの仮設住宅に家族3人で暮らす田中公彦さん(63)は「仮設は息苦しい時もあるけれど、このコーヒーが息抜きになる」と頰を緩めた。岩鼻さんは「私たちも、震災の時は支援してもらったからね」と静かに応じた。

 長距離の運転からコーヒーの提供まで1人でこなす活動は、40代後半の体にはしんどい時もある。それでも被災地へと突き動かすのは、東日本大震災で実感した支援のありがたさだ。

自分が支えられた東日本大震災

 2011年3月11日、岩鼻さんは東京のビルで仕事中だった。当時はシステム開発と経営コンサルタントを兼業する個人事業主。激しい揺れで職場はプリンターなどの機材が宙を舞うように散乱した。釜石市北部の鵜住居(うのすまい)地区にある実家を目指したが、たどり着くまでに1週間かかった。

 鵜住居地区では津波などで600人超が犠牲になった。海岸から1・5キロほど離れていた実家も、床上まで浸水して全壊。両親は避難して無事だったが、親戚が亡くなった。

 その後、週末ごとに東京から地元に帰り、被災者向けの移動図書館の運営を手伝った。同時に、釜石を訪れる多くのボランティアに物心両面で支えられた。

「一人一人に幸せのかけらを」

 何度も来てくれる支援者に親しみを覚え、「震災や被災者を忘れずにいてくれることが伝わり、うれしかった」。能登地方を定期的に訪れるのは、当時の自分と同じ思いを感じてもらいたいからだ。

 岩鼻さんは東日本大震災の前から、副業でコーヒー関連の仕事を手がけていた。被災者に少しでも気持ちを落ち着けてもらおうと、釜石の避難所や仮設住宅でコーヒーを提供すると、住民が泣いて喜んでくれた。「こんなにほっとしたのは地震の後では初めて」と声が上がり、一杯の力を実感した。

 都会でビジネスパーソンとして利益を追求してきたが「泥臭く、人とふれ合う仕事をしよう」と古里で店を開くことを決めた。

 ちょうどその頃、被災者支援のために釜石市などが官民連携でキッチンカーの出店者を募集していた。自分の決断とタイミングが合い、現地の仮設住宅で暮らしながら営業を始めたのは12年6月。現在は毎週水曜日に市中心部で営業する他、イベントへの出店やコーヒー豆の卸売りと焙煎で生計を立てる。

 店名は「ハピスコーヒー」。幸せ(ハッピー)と、かけら(ピース)を掛けた造語で「一人一人に幸せのかけらを贈りたい」との思いを込めた。

「安らぎを生む飲み物」

 災害支援は14年の広島土砂災害を皮切りに、16年の熊本地震や、22、23年の秋田、山形両県の大雨などの被災地でコーヒーのドリップバッグを贈ってきた。

 能登には「車で乗り入れ可能」と判断し、初めてキッチンカーで移動。震災で縁ができた神戸市の市民団体が活動する七尾に加え、輪島市や珠洲(すず)市にほぼ毎月、足を運んできた。

 七尾在住で、神戸の団体の現地担当を務める石坂智子さん(45)は「伸ちゃんの訪問に涙を流す人もいた。コーヒーで気持ちが落ち着き、普段は話しにくいことを口にする人もいる」と感謝する。

 岩鼻さんは「コーヒーは人間らしく生きるために必要な心の安らぎを生む飲み物」と考えている。愚痴をこぼしたり、気が立ったりしていた被災者も、味わった後は笑顔で帰っていく。

 地震の発生から間もなく1年。もうしばらく、災害を忘れられるひとときを届け続けるつもりだ。【奥田伸一】

この記事の関連ニュース