国鉄の分割・民営化で誕生したJR東海の初代社長を務めた須田寛(すだ・ひろし)さんが13日、老衰のため死去した。93歳。葬儀は近親者で営んだ。同社はお別れの会を後日開く予定。
京都府出身。京都大を卒業して1954年国鉄入り。名古屋鉄道管理局長や旅客局長、常務理事などを歴任した。営業課長だった70年代にキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」を手掛けて利用客増を図るなど、旅客事業で手腕を発揮した。
87年4月、国鉄民営化で誕生した東海旅客鉄道会社(JR東海)の初代社長に就任。間もなく、当時中日ドラゴンズの本拠地で観客増が見込まれたナゴヤ球場近くに臨時駅の設置を決定。顧客の需要に柔軟に対応するよう社員に意識改革を促した。また、92年に東海道新幹線で「のぞみ」を導入するなどサービス向上に励み、会社の経営基盤を固めた。95年から会長、2004年から相談役、98年から04年までNHK経営委員長を務めた。
05年に開かれた愛・地球博(愛知万博)の誘致や成功にも大きく貢献した。その後も、日本観光振興協会中部支部長などを務め、中部地方を「日本のものづくりの中心地」として世界にアピールするため、産業遺産や企業資料館、工場などを巡る「産業観光」を提唱。講演活動などで地域の観光振興にも尽力した。著書に「東海道新幹線三〇年」「観光の新分野 産業観光」「昭和の鉄道 近代鉄道の基盤づくり」などがある。12年に旭日大綬章を受章した。