今年、デビュー60周年を迎えた歌手の美川憲一さん(78)。「柳ケ瀬ブルース」や「さそり座の女」など数々のヒット曲で日本の演歌界や歌謡界をリードし、今年はロックミュージシャンとのコラボレーションが話題になったが、実はもう一つ「シャンソン歌手」としての顔を持つ。ライフワークに掲げ、「生涯歌い続けるわ」と言い切るシャンソンへの思いを聞いた。【山田泰生】
――シャンソンとの出会いはいつごろですか。
◆デビュー間もない頃、「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子さんと対談する機会があり、「私はシャンソンが好きで、戦前から歌っているの。若いからピンとこないかもしれないけど、年を重ねたらその良さが分かる。あなたもやったほうがいいわよ」と勧められたんです。それを機に親しくなり、シャンソンとのつながりが生まれました。
1999年に92歳で亡くなられる際、淡谷先生は「私がいなくなってもシャンソンを歌い続けてね」とおっしゃられました。その言葉を受けて同年に始めた「ドラマチックシャンソン」というコンサートは、今年で23回目を迎えました。
――往年のスターとも深い親交がありました。
◆「シャンソンの女王」と呼ばれた越路吹雪さんは、生みの母に少し似ていたこともあってファンでした。淡谷先生に紹介してもらい、親交が始まりました。
裏話もたくさん聞きましたよ。越路さんは、パリでエディット・ピアフが歌う「愛の讃歌(さんか)」を目の前で聴いて号泣したそうです。「今まで私は何をやっていたのかしら」って。それを聞き、私は「ちゃんとやってきたじゃないですか」って伝えました。越路さんは愛の讃歌を日本語で歌い、だからこそ大衆の中であれだけヒットしたんです。日本のシャンソンは日本語の歌詞で歌うのでいいと思います。
――シャンソンの祭典「パリ祭」では欠かせない存在となりました。
◆初出演は82年です。淡谷先生が、創設者で歌手の石井好子さんに頼んでくれて実現しました。一部では「演歌歌手のくせになんでシャンソンを歌うんだ」と反対の声もありましたが、石井さんは「世代交代。若い人がシャンソンを歌ってくれたらいい」と説得してくださったんです。
ただ、うまく歌えたものの、緊張もあってか納得できる舞台ではなかったです。「パリ祭はコネを使って出る場所ではない」と悟りました。以来、自分なりにしっかりシャンソンをやっていこうと思いました。
――シャンソンの代表曲「生きる」が人気です。
◆原曲はフランスの「遺言」という曲で、元々は宝塚歌劇団出身の歌手、深緑夏代さんが歌われていました。頼み込んで歌わせてもらった経緯があります。
ファンからのリクエストも多い一曲です。キャンペーンで地方のショッピングセンターなどを回ると、病院から抜け出して聴きに来る人もいて、「元気になりました」と言ってくださる。メッセージソングとして、一生歌い続けていきたいと思っています。
――シャンソンを知らない世代も増えています。
◆2021年のパリ祭で、演歌歌手の藤あや子さんがゲスト出演し、話題となりました。演歌歌手がシャンソンを歌うのはいいことだと思っています。シャンソンを広めていくためには、もちろんシャンソン歌手に頑張ってもらう。その上で、ジャンルの違う歌手にもどんどん歌ってもらう。今はジャンルにこだわる時代ではないと思います。
――デビュー60周年、まさにジャンルを超えたコラボが話題ですね。
◆今年9月に発売した60周年記念シングル「これで良しとする」は、人気ロックバンド「B’z」のギタリスト、松本孝弘さんが作曲を、「GLAY」のTAKUROさんが作詞をしてくださいました。松本さんにダメ元で頼んでみたら、即答で快諾してくださり、実現しました。初めて聴いたときは胸が震えました。
歌手として歌い続けていたらあっという間に60年が過ぎました。人生は必ず幕を下ろす時が来ます。悔いのないように、これからも、演歌も歌謡曲も、そしてシャンソンも、ジャンルにこだわらず、しぶとく歌い続けるわよ。