「紀ノ川」や「華岡青洲の妻」などで知られる作家、有吉佐和子(1931~84年)が「輪島塗」を愛していた――。日本の伝統文化をたどるルポルタージュ執筆のため、58年に石川県輪島市を訪ねたことがきっかけとされる。元日の発生から1年を迎える能登半島地震で、甚大な被害を受けた輪島塗。「もし彼女が存命だったら、何を考えるだろう」。有吉の出身地、和歌山市の近代文学研究者、岡本和宜(かずのり)さん(49)が動き出した。
ルポルタージュの原題は「輪島の漆器 日本の陰影」。58年6月に『別冊文芸春秋』に掲載されたもので、その存在を知る人は少ない。27歳だった有吉が輪島を訪れた当時は、高度経済成長期の序盤。国内でプラスチックの大量生産が始まった頃で、生活様式の変化を受け、伝統工芸の直面する問題を考えるといった背景があった。そこには、輪島塗の伝統を守ろうと懸命に生きる、職人たちの姿が描かれている。
「漆器工業は交通不便の地に生まれる。そこでは、大都会には見出せない人間たちの重厚の神経がある」。有吉はルポルタージュで、輪島をこう表現した。
国語科教員などを務めながら有吉研究を続けてきた岡本さんは、2022年10月に河出書房新社が発刊した「有吉佐和子の本棚」で企画編集を担当。没後40年となる24年に合わせ、単行本未収録のルポルタージュなどを本にして、多くの人に読んでもらえないかと考えていた。
その計画段階で、能登半島地震が発生。輪島塗の職人や工房の被害を知り、岡本さんは第1段を「輪島の漆器 日本の陰影」にしようと決めた。しかし、その理由は被災地に関するルポルタージュを有吉が執筆していたから、というだけではない。
有吉は輪島塗を好み、人生の節目ごとに購入するほど気に入っていたという。岡本さんが所蔵する結婚式の引き出物は、深紅の輪島塗の皿で、裏面には有吉と当時の夫の名前入り。和歌山市役所別館の「わかやま歴史館」に寄託された有吉の愛用品にも輪島塗の作品は多く、娘の干支(えと)にちなみ「兎(うさぎ)」をあしらった金筒や趣味の茶道で使ういろりの枠、重箱や茶碗(ちゃわん)などがあった。
「輪島塗をよっぽど気に入っていたんでしょうね。何事も全肯定することはないのが彼女のスタイルですが、ルポルタージュでは公平な目を持ちながら愛情を持って書かれているのが印象的でした」。岡本さんは個人出版社を立ち上げ、手のひらサイズ(縦10・5センチ、横7・4センチ)の豆本にしたルポルタージュ「輪島の漆器」(税込み1500円)として刊行。全87ページと読みやすく、カバーには愛用していた着物の柄をあしらった。豆本を選んだのは、お土産感覚でさまざまな人に手に取ってほしいとの願いからだ。
売り上げは経費を除いた全額を、輪島漆器商工業協同組合に寄付する。有吉は生前、認知症や介護を扱った作品「恍惚(こうこつ)の人」の印税を高齢者施設に寄付するなどしており、その考え方を引き継いだ形だ。長女で作家の有吉玉青(たまお)さん(61)も「少しでも復興に協力できればうれしく、母も喜ぶことと思います」と話している。
現在は和歌山市の「有吉佐和子記念館」でのみ販売しているが、取り扱いの相談は全国を対象に受け付けるという。個人への郵送などは行っていない。問い合わせは、岡本さんの個人出版社「書肆(しょし) 青庵」のメール(shoshi.seian@gmail.com)まで。【安西李姫】