80年前の太平洋戦争末期、米軍による東京大空襲で被災した賛育会病院(東京都墨田区)旧本館の一部保存を含む解体工事が進んでいる。8日には空襲の跡が生々しく残る部屋の工事が始まった。黒く焦げた天井などが切り出され、今後、他の施設へ移される予定だ。一部の部屋だけでなく、病院全体が広く被災していたことも新たに分かった。空襲体験者が減る中、戦争の惨禍を後世に伝える遺構の保存、展示に向けて準備が進んでいる。
特に被災が著しい屋上階の小部屋の工事は8日午前9時前に始まった。作業員らが専用ドリルで黒く焦げた天井の一部に穴を開けた。午後3時過ぎ、保存用として、厚さ25センチ、縦横30センチ、約50キロのコンクリート片を切り出した。9日以降、壁も一部を切り出す。
旧本館は鉄筋コンクリート製の地下1階、地上4階建てで1930年に建設された。45年3月10日の東京大空襲で周囲は焼け野原となり、同館も炎に包まれた。建物は残ったものの、内部は損傷。屋上階の小部屋(高さ2・85メートル、幅と奥行きは4・1メートル)の内側の壁と天井は全体的に黒くすすけ、炭化した木片も残り、猛火の実態が伝わってくる。小部屋は戦後、ほとんど使われていなかったことなどから、奇跡的に被災時の姿をとどめている。
解体工事の過程で、さらに2~4階の各階でも、戦後に施されたとみられる内装の下などから焦げた壁や真っ黒に炭化した木片が見つかった。調査に当たった東京大空襲・戦災資料センター(同江東区)の千地健太学芸員(44)は「閉じ込められていた空襲の痕跡が、封印を解かれて出てきた。病院が歴史を大切にしてきたことが大きい」と指摘する。
旧本館の天井、壁面や木片などは同センターが保存し、公開する方針。同病院も被災した壁の一部の保存と活用を検討する。【後藤由耶、栗原俊雄】