外国籍として初めて芥川賞を受賞した、在日文学を代表する作家の一人、李恢成(り・かいせい、本名=イ・フェソン)さんが5日、誤えん性肺炎のため死去した。89歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻許承貴(きょ・しょうき)さん。
1935年、在日2世としてサハリン(旧樺太)に生まれた。47年の引き揚げ後、札幌市で育つ。早稲田大ロシア文学科卒。卒業後は朝鮮総連に就職し、朝鮮新報社記者を経て、67年から本格的に小説を書き始めた。組織を離れ、在日2世の目から在日コリアンの生活や歴史、朝鮮人としての自己形成の過程を自伝的に小説として表現した。
69年、サハリンから日本へ移住した朝鮮人一族の家庭を描いた「またふたたびの道」で群像新人文学賞を受賞しデビュー。在日コリアン青年と日本人少女の恋愛を描いた「伽倻子(かやこ)のために」(70年)は84年、小栗康平監督で映画化された。
第二次大戦末期に若くして亡くなった薄幸な母への鎮魂を込めた「砧(きぬた)をうつ女」で72年、芥川賞を受賞。70年代の韓国を舞台にして革命家たちを描き、79年に完結した大長編「見果てぬ夢」は民族統一への新たな潮流を捉えたとして高く評価された。実父の生き方への敬愛を込めた「百年の旅人たち」で94年、野間文芸賞。
祖国の統一と民族の主体性をテーマに在日コリアンの生き方を問い続けた。作品の中で北朝鮮の個人崇拝の体制を批判していたが、統一を望む立場から南北分断以前の朝鮮籍を長年堅持していた。しかし98年、民主化を唱える金大中政権が誕生したため韓国籍へと変更した。
2000年から文芸誌で連載を始めた自伝的な大河小説「地上生活者」は20年2月に第6部が刊行され、なお書き継がれていた。他の作品に「追放と自由」「流域へ」など。
文芸評論家・川村湊さんの話
非常におおらかで優しい人だった。韓国籍を取得したが、サハリンに生まれたこともあって、観念的な民族や国境にこだわらない自由な立場を貫いた。文化的、政治的にどこにも所属していないことを、文学として表現した。戦後民主主義における在日文学は、李恢成さんから次の世代にバトンが託された。死去により、在日文学は一つの大きな節目を迎えたといえる。