阪神大震災の発生から30年となった17日、松山市の石手寺でも慰霊祭が開かれた。2024年1月に起きた能登半島地震の犠牲者への慰霊も兼ね、被災者やその支援者ら約40人が祈りをささげた。境内では34個のガラス瓶に入ったろうそくに火がともされ、「1・17」の形に並べられた。
慰霊祭は本堂で営まれ、僧侶の読経が続く中、目を閉じた参加者らは静かに手を合わせて黙とうした。その後、愛媛県内の被災者支援のためのボランティア団体「打てば響く会」が太鼓を披露し、力強い音と掛け声が境内に響き渡った。
兵庫県西宮市の自宅が全壊し、愛媛県八幡浜市に移住した森口政夫さん(73)は「家族はかすり傷一つなく、それが救いだった。一生懸命走り抜けてきた。長いようで早く過ぎた30年だった」と振り返った。南海トラフ巨大地震では、広範囲で甚大な被害が想定されている。森口さんは「『とにかく逃げなさい』と伝えたい。生き延びたら何とでもなる」と語った。
兵庫県宝塚市の久下等さん(80)は、被災者らの支援に尽力した石手寺の加藤俊生・元住職(21年、享年63歳で死去)との縁もあり参加。震災当時、同市西消防署で消防司令長を務めており、署員の参集もままならず、機材も足りない中、人命救助など現場の指揮に当たった。退職後は「恩返し」の思いもあり、東日本大震災の被災地支援を続けてきた。「年月がたつにつれ、少しずつ震災が忘れられている。それでも、根気よく次世代に記憶をつなぐ活動をしていきたい」と話した。【山中宏之】