死者6434人を出した阪神大震災から30年を迎えた17日、各地で追悼行事が営まれ、遺族らが犠牲者を悼んだ。戦後初めて高度経済成長を遂げた大都市を襲った激震により、防災や減災の在り方が見直された。だが、この30年間も災害が相次ぎ、その度に課題が浮かんでいる。将来、想定されている南海トラフ巨大地震や首都直下地震にどう備えるかが問われている。
神戸市中央区の東遊園地ではこの日の早朝から、市民団体などが主催する「1・17のつどい」が開かれ、発生時刻の午前5時46分に合わせて参加者が黙とうした。会場に並べられた灯籠(とうろう)に火がともされ、被災者同士が寄り添いながら生活再建してきたことを表現する「よりそう」の文字が浮かび上がった。
母(当時34歳)と弟(同1歳)を亡くし、現在は語り部団体の代表を務める、小学校教諭の長谷川元気さん(38)=同市垂水区=が遺族を代表し、追悼のことばを述べた。
震災の記憶が今後、風化されることを懸念し「神戸に住む震災を知らない世代だけでなく、より多くの方々に防災・減災のスタートラインに立ってもらえるよう、これからも震災から得た教訓を語り継いでいきます」と語った。
兵庫県などが主催する追悼式典も県公館(同市中央区)で開かれ、天皇、皇后両陛下も出席された。天皇陛下は式典で「震災の経験と教訓を基に、皆が助け合いながら、安全で安心して暮らせる地域づくりが進められるとともに、そこで得られた知見が国の内外に広がり、次の世代へと引き継がれていくことを期待いたします」と述べた。
両陛下は震災が起きた翌月に被災地を見舞っており「被災された皆さんが、困難な現実を前にしながらも互いに励まし助け合い、懸命に前へ進もうとする姿は、今もなお脳裏に深く刻み込まれています」と当時を振り返った。
1995年1月17日に発生した阪神大震災は淡路島北部を震源とし、観測史上初めて震度7を記録。人的被害は災害関連死を含めて6434人が亡くなり、行方不明者3人、負傷者4万3792人に及んだ。約25万棟の住宅が全半壊し、地震後の火災で約7000棟が全焼。生活再建や地震対策、復旧・復興の在り方を見直すきっかけになった。【山本康介、高島博之】