旧優生保護法補償金支給法が施行された17日、全国の地方自治体の窓口で、補償金・一時金の支給申請の受け付けが始まった。北海道では旧法国家賠償請求訴訟の原告を支えてきた妻が申請手続きを行った。
夫は強制不妊手術の被害者だった。その事実を知り、誰にも打ち明けられなかった夫の苦しさを思うと、ショックで言葉が出なかった。それでも、一緒に実名を公表して闘う道を選んだ。
旧優生保護法を巡る訴訟の原告、小島喜久夫さん(83)の妻・麗子さん(82)は、2018年に手術の被害を告白されてから、裁判には欠かさず同行し、小島さんを一番近くで支え続けてきた。
麗子さんは提訴から約6年半を経た17日、被害者の配偶者として補償金申請手続きを行った。原告ではない麗子さんが補償を受ける初めての機会だった。
提訴時は小島さんの車椅子を押していた麗子さんはこの日、車椅子で2人並んで道庁を訪れた。職員の説明をうなずきながら聞き、「受理しました」と言われると「良かった」と笑みがこぼれた。
小島さんは申請後の記者会見で、麗子さんの存在の大きさを語った。
「妻が居なかったら裁判はできなかった。1人だと心細いからね」
そう言って麗子さんと目を合わせた。
小島さんの「一番の味方」の麗子さんだが、過去には子供ができないことを不思議に思い、悩んだ時期があった。
約40年前に結婚した当初、麗子さんは「やっぱりお父さん(小島さん)の子が欲しい」と言っていた。小島さんは不妊手術を受けたとは打ち明けられず「小さい頃におたふく風邪になったから、子供ができないのかもしれない」と話していた。
実の子供がいなくても、2人は一緒に温泉旅行をしたりカラオケを楽しんだりする仲の良い夫婦だった。
転機は2018年1月末、宮城県の女性が不妊手術を強制されたと名乗り出たことで訪れた。小島さんは新聞記事を見てすぐ「俺もされた手術だ」と気づき、ついに麗子さんに打ち明けた。
麗子さんは信じられず「本当のこと言ってよ」と何度も小島さんに尋ねた。「聞けば聞くほど、新聞と当てはまる答えしかでなくて、本当に手術されたんだなと分かった」
麗子さんに打ち明けた後も、小島さんは弁護士への相談を迷っていた。「そんなに悩むなら、一回相談に行こう」。麗子さんは悩む夫の背中を押した。その一言が、小島さんが全国で初めて実名を明かして闘うきっかけになった。
2人の歩みは、最高裁での違憲判決や補償法成立につながった。「2人が健康なうちに闘いが終わって、法律もできた。これからも一緒に楽しい暮らしをしたい」。小島さんの言葉には40年以上寄り添ってきた2人の深い絆が表れていた。【後藤佳怜】