メジャーリーグを目指すなら、英語の勉強を始めよう!――。岡山県総社市で、いっぷう変わった野球教室が開かれた。講師を務めたのは、米マイナーリーグでプレーし、スポーツ紙の「イチロー番」記者なども経験した県立総社南高の教諭、浮田圭一郎さん(47)。集まった中学生に「通訳に頼らない選手になってほしい」と語った言葉には、野球で成功するか否かに関わらず、英語を身につけて世界に羽ばたく人材に育ってほしいという願いがこもっていた。
11日にあった教室は、同校が地域の小中学生を対象に開いている学習教室「Let’s Study withジャミ生」の一環で、市内の中学生約60人が参加した。
2部構成で、前半は1時間の座学。6~7人のグループに分かれてテーブルについた中学生たちは、「サンディエゴってどう書くの?」などと同校国際系の生徒の助言を受けながら英語で自己紹介したり、入団記者会見の想定質問に答えたりした。浮田さんは当時の写真を披露して自らの経験を語りつつ、「メジャーで通訳がつくのは日本人選手ぐらい。チーム内では、やっぱり『なぜ日本人だけ優遇されるんだ』って批判がある。グローバル人材にとって、積極的にコミュニケーションを図り、早く打ち解ける力は絶対に必要」と力説した。
後半は、プロ野球・巨人の鈴木尚広2軍外野守備兼走塁コーチ(46)を招いて実技の練習。浮田さんが守備と打撃、鈴木コーチが走塁を指導した。練習中、浮田さんは「ステイ、ロー(腰を落として)」などと、英語で指導。中学生たちは少し戸惑いながらも、技術を身につけようと必死でついていった。
浮田さんは小学6年生の頃、家電量販店に並ぶテレビで米大リーグの中継を見て、「衝撃を受けた。日本のプロ野球に行きたいと思っていたけど、もうメジャーに行くしかないと思った」。中学校に進学して大リーガーの夢を友人に話すと、こう言われた。「だったら、記者会見を英語でやんなきゃな」。それから英会話を習いに行くなど、懸命に英語に取り組んだ。
外野手だった浮田さんは岡山城東高、成城大を経て、2001年に米大リーグのミネソタ・ツインズとマイナー契約。夢のプロ生活を始めたが、野球はもちろん、英語でも苦戦した。「やはりスピーチやリスニングは非常に弱く、『生の英語』は全然違った。教科書で学んだ英語がそのまま通用するかというと、かなり難しい部分があった」と振り返る。利き腕の右肘を痛めたこともあり、1年限りで解雇された。
「見返してやりたい」との思いから、現地の大学に入学し、スポーツマネジメントを学びながら英語力を磨いた。ロサンゼルス・ドジャースで通訳を務めた後、スポーツ新聞の記者に転身し、07年から5年間、シアトル・マリナーズ時代のイチローさんの一挙手一投足を追い続けた。「最後は故郷で高校野球の指導者に」と、帰国後に教員免許を取得し、津山高や和気閑谷高で監督を務めた。
そんな浮田さんだが、24年4月に赴任した総社南高では野球部の指導を離れている。「新型コロナウイルス禍や物価高騰などが重なったからか、海外を目指す子が少ない。もっと言えば、自分が住む町から出ないで生きていく術を探しているようで、小中学生に向けた取り組みが大事だと痛感している。野球よりそっちを先にやらなければという思いが強い」という。
だからこそ、野球教室を開いて、自らが経験してきたことを中学生に語った。「自分がそうだったように、好きなことのためなら英語に興味がわくという確信があった」。視線を海の向こうにまで向けて、グローバルに活躍する人に育ってほしい。野球に限らず、あの手この手で英語への関心を引く取り組みを続けるつもりだ。【平本泰章】