東京都町田市の美大生、井出真代さん(失踪時18歳)が行方不明になって20年以上が経過した2021年12月10日、井出さんの家族の居宅に高齢の男性が訪れた。
「真代さん捜しに私も協力させてください」
男性の名前は東京都在住の上村正明さん(77)。真代さんが1999年に失踪した時、警視庁町田署でこの事案を担当していた元警察官だ。
現役時代に扱った事件などに、引退した警察官が関わることは極めて珍しい。
居間に招かれると上村さんはテーブルに両手をついて頭を下げた。「今も見つかっていないことに責任を感じています」
捜査の限界、手がかりつかめず
59歳で警視庁を退職した上村さんは自ら警備関連会社を設立。社長として多忙な日々を送っている時、真代さんが今も未発見と伝え聞いた。真代さん方を訪問した1カ月ほど前のことだ。
「あの子はまだ見つかっていなかったのか」
衝撃を受けるとともに、忘れかけていた当時の記憶がよみがえった。
99年8月17日。真代さんの家族が「行方不明者届」を町田署生活安全課に出した時、同課の課長をしていたのが上村さんだった。
行方不明届を出された学生や若者は2~3日すれば戻ることが少なくないが、真代さんは違った。
上村さんは事件や事故に巻き込まれた可能性もあるとして、真代さんを「行方不明者」から「特異行方不明者」に“格上げ”した。
そして、係長と巡査部長に失踪について調べさせ、途中から女性警察官も投入した。
しかし、限界があった。当時の課員は二十数人のみ。少年事件などを捜査しながら、多い時は月に何十件もある行方不明事案に対処しなければならない。
「3人態勢としたが、専従させるほど余裕はない。正直なところ、すべてやりきれないのです」
結局、手がかりはつかめずじまい。事件の被害にあった根拠もなく、刑事課などに持ち込むこともなかった。
01年3月、上村さんは警視庁本部に異動した。
「組織人」としての葛藤も
時は流れ、今も真代さんが行方不明と聞いて上村さんは葛藤した。
心残りのある事件を残さずに辞めていく捜査員などいない。真代さんの家族に協力したいと考える一方、組織に所属していた元警察官としてそうしたことが許されるのかと自問した。
悩み続ける上村さんの気持ちを最後に後押ししたのは、担当していた当時の係長への電話だった。
彼もすでに退職していた身だったが、上村さんの話を聞くと、訴えかけるように言った。
「警察人生のなかで唯一の心残りが真代さんです。今も悔しいですよ」
気持ちは固まった。
上村さんは真代さん方を訪問後、失踪を伝えるホームページを制作。チラシ作成も手伝った。その上で、真代さんが行方不明となった真相の解明にも取り組み始めている。いずれも無償である。
「もう70代。何ができるか分からないが、可能な限りお手伝いしたいと思っています」と上村さんは強調する。
情報提供は町田署(042・722・0110=内線3315)、真代さん家族(080・8543・3772)まで。【川上晃弘】