家庭の経済事情により、「サッカーチームに入りたい」というささやかな願いすらかなわない子どもがいる。
昨年、「体験格差」(講談社現代新書)を出版した今井悠介さんは、公益社団法人「チャンス・フォー・チルドレン」(CFC、東京都墨田区)代表理事を務め、経済的に困窮する家庭の子どもたちにスポーツや文化活動、キャンプなどさまざまな体験の機会を提供する活動に取り組んでいる。ジャーナリストの池上彰さんと「体験」の重要性などについて語り合った。
体験の意義
池上 ご著書のタイトルにある「体験格差」という言葉が話題になりました。今井さんが使い始めたものでしょうか。
今井 実は違うのです。私は2011年に体験格差解消を支援する活動を始めたのですが、そのときには既に使われていました。教育社会学の先生が提唱されていました。
池上 そうでしたか。私も複数の大学で講義をしていますが、何を聞いても「別に……」と無関心な学生もいます。子どもの頃の体験の有無で知的好奇心が変わってくるものだな、と感じます。美術館や博物館に行った経験がなければ、大学生になってから「さあ行ってみよう」とはなかなかならないですよね。
今井 大学生になると時間的な余裕ができて、勉強やアルバイトなど、いろんな選択肢が増えますが、何をしたいか分からないという学生も結構います。子どものときの体験が影響している部分はあると思います。
池上 「体験が大事」と聞くと、教育熱心な親は「じゃあもっと体験させなきゃ」と焦るかもしれない。
今井 そうなると、やりたくもない習い事をさせられて遊ぶ時間がなくなってしまう子どもが出てきてしまいそうで、それはそれで問題だと思います。「体験格差」への関心が高まるのは重要ですが、そのような方向に進むのは避けたいです。
私たちが取り組んでいるのは、経済的に困窮しているという理由で、子どもが文化活動やスポーツなどやりたいことができない、または、やりたいことを見つける機会がない状態に対してのサポートです。放課後の習い事だけではなく、長期休暇を利用したキャンプや旅行、演劇や音楽鑑賞といった文化活動、地域のお祭りへの参加やボランティア活動も含みます。子どもたちが将来の選択肢を広げられるような幅広い体験機会が保障されている、やりたいと思ったら手を伸ばせる、そんな社会を作りたいと考えています。
クーポンの活用、提携先に利用料
池上 そこは正しく理解してもらいたいところですね。具体的な活動として、「クーポン」を使ってさまざまな体験メニューを提供していると聞きました。
今井 はい。私たちは民間などから寄付金をいただいて、それを財源として、経済的に困窮している家庭に「クーポン」を渡します。小学生がいる家庭で年間15万円分、中高生には20万円分で、受験を控えた中学3年生と高校3年生は30万円分です。そのクーポンは学習塾や家庭教師といった勉強関係に加え、習い事やキャンプなどを開催する団体など、提携先で使えます。私たちは寄付金から提携先に利用料を払う仕組みになっています。11年から「スタディクーポン」という名称で、幅広く使えるようにしています。お陰様で、提携先は4500くらいになりました。
コロナ禍が変えたこと
池上 それはすごいですね。食事など生活一般の支援や、学習サポートをする団体は多いと思うのですが、「野球やサッカーをやってみたい」という希望をかなえるとなると、「それってぜいたくなんじゃないか」という声は出ませんでしたか。
今井 それはもう、たくさんあって、時には「寄付は学習支援にだけ使ってほしい」とおしかりを受けました。寄付者の方から「子どもの進学を支えるのは分かるが、『スポーツをしたい』はぜいたくでは」「報告書に『音楽教室に行った』とあるけど、これはなに?」などです。
池上 どうやって説得したんですか?
今井 もちろん学習支援は大切ですし、それに加えて体験の重要性も説明しました。でもそのときは、説得しきれなかったと思います。「スポーツや習い事はぜいたく」は、世の中全体の考えだったのでしょうね。でも、潮目が変わる出来事がありました。新型コロナウイルス禍です。
池上 と言いますと?
今井 あのとき、人と人とが直接会って何かを体験する、という日常が断たれてしまいました。コンサートなどが中止になったし、子どもたちの場合は修学旅行やスポーツの大会が開かれない、といった出来事が相次ぎましたよね。そんな中、授業や会議はオンラインでも可能だと分かりましたが、五感を使っての体験はオンラインで代替できない場合がある、体験は貴重なものだと社会全体が気付いたと思います。その頃から「体験格差をなくしたい」という考えに、徐々にではありますが理解を示してくれる方が増えてきました。
【構成・江畑佳明】