脳梗塞(こうそく)などの後遺症で会話や読み書きが困難になる「失語症」。ある日突然、言葉を失う戸惑いや悲しみと向き合う失語症者たちのありのままの姿を、広まらない滋賀県内の支援体制の実情とともに伝える。
「やはり脳はすごい」リハビリに意欲
「私から言葉だけは取らないで」。会話や読み書きが困難になる「失語症」者になった中島貴栄子(きえこ)さん(70)=大津市。おしゃべり好きでムードメーカーだった中島さんは変わってしまった自分をなかなか受け入れることができなかった。
2022年12月18日夜、中島さんは脳出血で診断を受けた病院で高次脳機能障害とされ、失語症も発症した。「美容院……じゃなくて病院! いつも間違えちゃうの。言えへんってすごく大変や」。首をかしげながら笑顔を見せる中島さんは言いにくい言葉は紙に書きながら、発症から現在に至るまでの体験を語った。
発症時は、「きえこ」と自分の名前を平仮名で書くことさえままならなかった。話す能力も「1、2、3、4」や「こんにちは」など簡単な数字、あいさつの言葉さえ出てこなかった。身体的なまひは残らなかったため、「見た目では分かってもらえないし、(自分で)失語症だと説明もできない」と動揺した。1年ほどは家に籠もる生活が続いた。
ただ、言葉を取り戻すリハビリは続けた。医師から勧められ、新聞のコラムを毎日、ノートに書き写し、運動をしながら数字を唱えた。次第に意味が分かる言葉が増えていき、書く能力、話す能力が戻ってきた。現在も似ている言葉や、特定の50音は言いにくいものがあるが、リハビリに手応えを感じている。
「頑張れば話せるようになるのだから、やはり脳はすごい」。リハビリの成果が表れることで気持ちも前向きに変わっていった。外出して人と話すようになり、「自分ってこんな人間だったなと思い出すことが増えた」。
一方で、「もう少しゆっくり話してくれれば、答えられるのに」と日常生活で思うことは多く、やりきれない思いも抱えている。
紙に余白が無くなるほど、言葉を書き連ねた中島さん。「周囲に『うるさい』と言われるほど、話すのは大好きだった。今もまだまだ言いたいことが、ここにたくさんある」と胸を押さえた。【飯塚りりん】