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徳田虎雄氏死去「厳しい離島医療、道しるべのような存在だった」 鹿児島・奄美大島でも悼む声

MBC南日本放送 2024年7月11日 19時54分

徳田虎雄さんの訃報に、奄美大島でも悲しみの声が聞かれました。

(奄美市民 40代)「奄美群島の医療に貢献してくれた人なので残念」

(奄美市民 50代)「びっくり。(病院があることで)奄美の人は助かっているし、自分もその1人」

徳田さんとは40年以上のつき合いで、選挙の際、後援会長も務めていた奄美市の叶隆典さん。11日朝、徳田さんの息子・毅さんから、電話で訃報の連絡を受けました。

(徳田さんの元後援会長 叶隆典さん)「残念の一言。この豊かな自然の中で全国、世界からも、医療を受けにくる島を目指すんだと、夢みたいなことを言っていた。有言実行、自分が目指したものを実現させる人」

奄美市の名瀬 徳洲会病院の松浦甲彰・病院総長です。厳しい離島医療の現場で、徳田さんは道しるべのような存在だったといいます。

(名瀬徳洲会病院 松浦甲彰・病院総長)「医療の進むべき道を教えられたし、そのことが今になって助けられた。病院運営が大変な中でも続けられたのは、徳田虎雄先生が親にも近い暖かい心で、いつも自分たちを見てくれたから。愛情や優しさを常に感じていた」

闘病中も奄美大島を訪れていた徳田さん。コロナ禍前、最後に交わした言葉が今も心に残っているといいます。

(名瀬徳洲会病院 松浦甲彰・病院総長)「最後の言葉が印象的で。自分が奄美のことが出来なくなったら、お前たちは自分たちで生きていくことを考えろと。奄美の離島医療が消えてなくなることのないよう、頑張らなくては」

かつて「保徳戦争」を戦った保岡興治さんの息子で衆議院議員の宏武さんは。

(保岡宏武衆院議員)「巨星、堕つ」「大きな歴史が終わった。それぐらい大きなショックを素直に言って受けた」

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