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「医療界の革命児」故・徳田虎雄さん ふるさと徳之島に帰る お別れの会

MBC南日本放送 2024年7月22日 19時35分

医療法人「徳洲会」の設立者で、今月10日に亡くなった元衆議院議員・徳田虎雄さんをしのぶ「お別れの会」が、ふるさと徳之島で開かれました。全国から親交のあった1400人が参列し、別れを惜しみました。

(記者)「徳田虎雄さんの遺体を乗せた車が、たったいま、お別れの会の会場に到着しました」

今月21日、鹿児島県の徳之島で開かれた徳田虎雄さんの「お別れの会」。医療関係者や奄美群島の住民らが続々と参列し、会場には長い列ができていました。

徳田虎雄さんは1938年、徳之島町生まれ。1975年に医療法人「徳洲会」を設立し、病院や診療所を国内外で次々と開設しました。

(徳田虎雄さん/1979年)「生命だけは平等。金持ちでも庶民でも、都会でも農村、離島でも、誰もが最善の医療を受けられる社会を理想としている」

国内最大級の医療グループを築いて「医療界の革命児」と呼ばれた一方、1983年には政界にも進出。自民党の保岡興治さんとの激しい選挙戦は「保徳戦争」と呼ばれました。

2002年に難病のALSを発症して政界を引退し、今月10日、神奈川県内の病院で亡くなりました。86歳でした。

徳田さんの遺体は今月19日、飛行機で徳之島に運ばれ、「お別れの会」は、徳田さんの次男で元衆議院議員の毅さんら家族が開きました。徳田さんの妻・秀子さんは体調不良のため、参列しませんでした。

(徳田虎雄さんの次男 毅さん)「誰よりも苦難の人生だったのではないか。父は生前、最後は徳之島に帰ってきたいと言っていましたので、きょう帰ってくることができて喜んでいるのではないか」

祭壇に飾られたのは、妻・秀子さんが気に入っているという50代に撮った写真に、愛用していたスーツ、帽子。生前、徳田さんと親交のあったおよそ1400人が手を合わせ、最後の別れを告げました。

(徳之島町の知人)「普通の人の150年分は働いた人。あとはゆっくり休んでほしい」

(徳田さんを看病 喜界町出身の看護師)「仕事の話をすると、目や表情が変わったのは感じた。安らかに逝かれた」

また、徳田さんと「保徳戦争」を繰り広げた保岡さんの長男で、衆議院議員の宏武さんも会場に姿を見せました。

(保岡興治さんの長男 宏武さん)「毅先生も言葉を詰まらせ、私もぐっとくるような、言葉にならない。(徳田さんの)思いはしっかり私も胸の内に刻んでいかなければならない」

徳田虎雄さん・毅さん親子の選挙区だった衆議院鹿児島2区の現職・三反園訓さんも参列。政治記者時代の徳田さんとの思い出を語りました。

(衆院鹿児島2区 三反園訓議員)「議員会館に来てくれと電話がかかってきて、政治の話をたくさんした。すごいエネルギーの持ち主だと思う」

「お別れの会」から一夜明けた22日。徳田さんは生まれ育った徳之島町亀徳にある、生前に建てた墓に埋葬されました。

徳田さんの墓からほど近い丘の上では、来年7月のオープンを目指して新しい徳洲会病院の建設が進んでいます。

(徳田毅さん)「『命だけは平等だ』というその理念を多くの人たちが引き継いでくれているので、その活動をしっかりと見守ってほしいと思う」

医療の発展を推し進めた徳田さんの思いは、次の世代へと受け継がれていきます。

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