8月15日は戦後79年の終戦の日です。
総務省の去年の人口推計では、日本の総人口1億2435万2000人のうち、戦後生まれが87.9パーセントで、それ以前の戦前・戦中世代はわずか12パーセントまで減少しています。
戦争体験者が少なくなり、風化と記憶の継承が課題となる中、鹿児島県薩摩川内市の中学生が、平和学習で夏休みの自由研究に取り組んでいます。
薩摩川内市の川内北中学校。先月、夏休み前の2年2組の授業です。夏休みに行う自由研究・平和学習レポートについて担任が説明しました。
(担任・佐藤教諭)
「戦後79年、これがどんな意味を持つか…忘れる…風化。そう風化。勉強して、みんなが大人になった時に、しっかり語り継いでいかないといけない」
そして、広島と長崎の原爆の記録映画を見ました。やけどを負った被爆者の映像に子どもたちは衝撃を受けました。
「被爆した人たちが、いまでも苦労していることを知って驚いた」
「いま私たちは平和で幸せな毎日を送っているけれど、ほかの国や過去には日本でも戦争が起きていて、繰り返さないようにしたい」
国内だけで310万人が死亡した先の大戦。そして今も続くウクライナや、ハマスとイスラエルの戦い。先生は自分自身のこととして考えて欲しいと訴えます。
夏休みに入り、生徒の家を訪ねました。流合菜織さん(14)、母親の加織さん(42)です。4人きょうだいの長女の菜織さん。歴史は好きですが、今回の自由研究には難しさも感じていました。
(菜織さん)
「この前見た映像は、皮膚が焼けていたり、結構直接的な映像があって衝撃を受けた」
流合さんの祖父は戦後生まれ。戦争を体験した家族や親戚はいません。菜織さんは10月に修学旅行で長崎に行きます。母親の加織さんは、夏休みの自由研究も含め、自分で見て学んで欲しいと見守ります。
(母・加織さん)
「ちゃんと行って、見て感じて学んで欲しい」
(菜織さん)
「知らないと昔のことが薄れていったら、また同じことが繰り返されるから、つらいことかもしれないけれど、できるだけ知りたい」
現在、終戦記念展が開かれている川内歴史資料館です。当時の軍服や、図書資料など87点が展示されています。
例年企画を手がけている学芸員の出来久美子さん。体験者が少なくなる中、当時の人々の心の内を知る手だても減っていると考えています。
(学芸員・出来久美子さん)
「今の戦後世代の私たちは、恵まれている世代にいる中で、テレビで見ていて教科書で見ていても、どうしても戦争の時代が分かっているようで分からないことが多い。
手紙であったり書いているものも検閲されているということを考えれば、はたして実際どう考えて戦争に行かれたのか、そういうことはまだまだ全然分からない」
流合菜織さんはこの日、友達と歴史資料館を訪れました。案内した出来さんも川内北中の卒業生で先輩です。目を留めたのは、空襲の写真でした。
薩摩川内市は、終戦の年の1945年6月から8月にかけて、アメリカ軍の空襲が続き、中心市街地が壊滅的な被害を受けました。死者54人。焼失した家屋は2042戸に上りました。
(流合菜織さん)
「鹿児島の、しかも自分たちが住んでいるところであったのは衝撃だった」
さらに案内された展示では…
(学芸員・出来久美子さん)
「特攻って聞いたことあるかな?人間も兵器になるという恐ろしい戦法。そういった戦法で亡くなっていった人です」
遺品が展示されているひとり、土器手茂生陸軍伍長は、知覧から特攻隊員として出撃し、19歳で戦死しました。出身地が同じ町内であることに流合さんは驚きました。
Q.自分だったらどうですか?
(流合菜織さん)「絶対行けない。怖い。絶対死ぬとわかっているから。それでも行こうとしたのはすごいと思う」
Q.そういう形でしか祖国を守れないようにしてしまった国をどう思う?
(流合菜織さん)「政府の人たちが解決すればいいのに、たくさんの人を死なせて、命令を下しているだけというのは、亡くなった方々の親戚からしたら憎らしいと思う」
自由研究だけでなく、流合さんは戦争について改めて調べたいと考え始めています。
(流合菜織さん)
「どんどん深く知ってくると、改めて戦争は繰り返してはいけないものだなと思った。戦時中・戦後のこと知っていきたい」
終戦から79年。風化の一方で、関心を持つ次の世代も着実に育っています。