屋久島沖でアメリカ軍のオスプレイが墜落し、乗員8人全員が死亡した事故から、きょう29日で1年です。屋久島では29日、軍による慰霊祭が開かれました。
オスプレイを巡って今もトラブルが相次ぐ中、地元では不安の声も上がっています。
(記者)「後ろに見えるのは、墜落現場の海です。慰霊碑には、亡くなった8人の肖像と名前が刻まれています」
墜落現場近くの海岸には、事故から1年の節目にあわせて慰霊碑が建てられました。アメリカ軍や防衛省、地元の寄付でつくられ、事故当時、救助にあたった漁業者らへの感謝の言葉も、日本語と英語で刻まれています。
1年前のきょう29日、屋久島空港近くの海上でアメリカ軍のオスプレイが墜落し、乗員8人全員が死亡しました。
事故原因について、アメリカ空軍は「機体の変速装置=ギアなどのトラブルと、警告灯が3度表示されたにも関わず飛行を続けた不適切なリスク管理」と結論づけています。
事故から1年。29日は屋久島で、アメリカ空軍が慰霊祭を非公開で開き、遺族や軍、防衛省のほか、当時、捜索に協力した地元の漁業者らが出席しました。
(アメリカ空軍 リチャード・シーザー大尉)「死を悼む慰霊碑を見て、心の慰めになった。1年経った今も私たちは喪失感を抱いている」
(九州防衛局 中辻綾太企画部長)「オスプレイは屋久島含め事故があり、再発防止策を作っている。ただ、安全が第一なので、我々はしっかり考えていく」
また、当時、救助や機体の引き上げにあたった屋久島漁協に、防衛省から感謝状が贈られました。
(屋久島漁協 羽生隆行組合長)「(米側は)事故原因は言っているが、その対策というと(事故が無くなって)ないから不安。私自身も不安感じている」
オスプレイは事故後、今年3月に全世界で飛行が再開された後も、トラブルが相次いでいます。
先月23日には鹿屋基地に陸上自衛隊のオスプレイ1機が緊急着陸。その4日後、沖縄では別の1機が着陸時にバランスを崩して地面に接触しました。
(事故の瞬間を目撃 平田耕作・69)「(機体の一部が)100メートルくらい吹っ飛んで、そのまま岩陰のほうに落ちた。もう1年経ったのか。つい最近のような気がする」
1年前、屋久島で墜落の瞬間を目撃した平田耕作さんは…。
(事故の瞬間を目撃 平田耕作・69)「滑走路の短い離島の防衛を考えると、オスプレイの意味合いはあると思う。民家の上を飛んでいるという話も聞くので、日本政府は(米側に)言うべきことは言うべき」
オスプレイで過去最悪の8人が犠牲となった屋久島での事故。1年経った今も、機体の安全性への不安はぬぐえないままです。
現在の奄美空港の様子です。アメリカ軍のオスプレイを巡っては、今月14日と21日にアメリカ軍のオスプレイが緊急着陸しました。21日に着陸した1機は1週間余り経った今もとどまったままです。