Infoseek 楽天

阪神・淡路大震災から30年 被災の県出身者「日常がその日崩れた」 鹿児島

MBC南日本放送 2025年1月16日 19時30分

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災からあす17日で30年です。ニューズナウではあの震災を振り返ります。

高校3年生のときに被災し自宅が焼け、親族を失った県出身の男性は「次の世代に地震の経験を語り継いでいきたい」と話します。

(永濱聖将さん)「住んでいたところがない。当たり前の日常がその日で崩れた」

1995年1月17日午前5時46分。兵庫県南部でマグニチュード7.3の地震が発生。神戸市や西宮市などで最大震度7を観測しました。

多くの人が倒れた家屋や家具の下敷きになり、災害関連死を含め6434人が亡くなりました。

(記者)「神戸市長田区です。震災による火災で焼野原になった商店街は再開発が進み震災の爪痕はみられない」

永濱聖将さん(47)です。神戸市長田区に住み家族で葬祭業を営んでいます。

徳之島出身の永濱さんは生まれて間もなく父の仕事で神戸に移り住みました。父・昭市さんは6年前に亡くなり母・時子さんと2人で暮らしています。

(永濱聖将さん)「ここが元々の私の家」

高校3年生のときに両親と妹、祖母と暮らす2階建ての自宅で被災。連休明けの火曜日、1階で寝ていると突然の揺れに襲われました。

(永濱聖将さん)「目が覚めたら何がどうなっているのか。本棚が落ちているのかテレビが落ちているのか」

自宅は全壊し1階部分が潰れ、永濱さんは落ちてきた落ちてきた梁に挟まれました。近くでは地震による火災が発生し、自宅まで火の手が迫っていたといいます。

(永濱聖将さん)「ここの空間だけしかない。『火の手が出た』と言われ、聞こえたけど脱出できなくて、恐怖心」

(母・時子さん)「上から叫んだ。『のこぎり持ってきてください』『子どもが挟まれているから』。助け出されなかったら私も一緒に、この子の側にいようと覚悟はしていた」

近所の人がのこぎりで梁を切断し、間一髪のところで助けられましたが、自宅は全焼しました。

(永濱聖将さん)「ここでどういう生活をしていたのか私の記憶でしか残っていない。思い出の品がないのが一番つらい。いつもの当たり前の日常がきょうも来るのかなと思ったら、いわゆる『一寸先は闇』」

阪神・淡路大震災での直接死はおよそ5500人で、このうち、およそ8割が倒壊した建物や家具の下敷きが原因でした。

永濱さんの近くに住んでいたおばの重田美智子さんも建物の倒壊により亡くなりました。

(永濱聖将さん)「完全に家族ぐるみの付き合い。来れば必ずお菓子とコーヒーを出してくれた。もうひとつの家みたいな感じ」

自分の暮らしていた家もおばの家も全焼。30年経った今の街並みはあの頃の面影はありません。震災後の混乱の中おばの葬式には参列できませんでした。

(永濱聖将さん)「県人会の慰霊碑が大倉山にあるが名前が入っていて、これでしのぶしかない」

阪神・淡路大震災で多くの木造住宅が倒壊したことをうけて国は震災の5年後建築基準法を改正し、柱や壁の配置など建物の耐震基準を見直しました。

一方、2018年時点の国の調査では県内の住宅のおよそ18パーセントにあたる12万5000戸の耐震性が不十分で全国平均の13パーセントより5ポイント高くなっています。

阪神淡路大震災以降のこの30年、東日本大震災や熊本地震など繰り返されてきた大地震。

去年1月の能登半島地震では、亡くなった489人のうち半数以上が地震による直接死ではなく、地震によるけがの悪化、避難生活による体への負担が原因の「災害関連死」です。

永濱さんの父親も30年前、小学校で避難生活をしているときに脳梗塞で倒れました。仮設住宅に移り住んでからは母親も体を壊し入院。

能登の被災地の現状は30年前と似ていると話します。

(永濱聖将さん)「両親も避難生活してるときに2人とも倒れた。震災でせっかく助かったのに、救えたのにそのあとのケアがうまくいっていない」

神戸市では震災後に生まれたり住みはじめた人が人口の4割を超えました。永濱さんはこれまで自分の体験を他人に話すことはありませんでしたが30年経って記憶が風化していくことに危機感を持っています。

(永濱聖将さん)「思い出したくないから『その頃の話をするな』ってなってしまった。(親戚で)お互い震災の話はご法度」

(永濱聖将さん)「でも誰かが語らないといけない。30年経ったらそのときの記憶が失われていく。被災者のたくさんいる中の1人として私の経験したことで繋いでいければ」

そしてふるさとの鹿児島の人たちにもいつどこでおこるかわからない地震に対して備えてほしいと話します。

(徳之島出身 永濱聖将さん)「今災害にあってないだけで、いつあうかわからない。あすは当たり前に来るかどうか分からない。毎日頭の隅っこに置いておくわけではないけど、ふとしたときに思い出してほしい」

震災から30年。自分や大切な人の命を守るために「その時」どう行動するのか普段から考えておくことが大切です。

この記事の関連ニュース