昭和100年にあたる今年、MBCでは「昭和からのメッセージ」と題し、かつての映像とともに昭和の出来事などをお伝えしています。
県内12地区の女性ランナーがたすきをつなぐ、県地区対抗女子駅伝、通称・かごしま女子駅伝です。世界で戦うトップランナーも輩出したこの大会、その歩みを振り返ります。
早春の霧島路を舞台に、中学生から一般・実業団ランナーまでがたすきをつなぐ、「鹿児島県地区対抗女子駅伝競走大会」。
昭和63年(1988年)に、鹿児島女子長距離界のレベルアップや、地域おこしを目的に始まり、これまでに、のべ2600人以上がたすきをつなぎました。
それまで、男子選手がふるさとのたすきをつなぐ県下一周駅伝はあったものの、女子の駅伝は黎明期。地区を背負う、大きな大会はありませんでした。
そんな中迎えた記念すべき第1回大会。初めはこんなトラブルも…。
(藤原さん実況)「今ちょっと号砲はなりませんでしたけれども、各ランナーがスタートしました。鉄砲が不発だったようであります」
今よりも短い5区間18キロで12地区が競い、川辺チームが初代女王に輝きました。
(玉木美智代さん)「その中に選ばれるっていうことがうれしいって感じですよね」「無我夢中でした」
第1回大会、川辺チームで出走した玉木美智代さん57歳です。当時、川辺には池田製菓、現在のイケダパンの工場があり玉木さんは実業団選手でした。
1回大会では3区区間賞の走りで優勝に貢献。引退するまで5回たすきをつなぎ、2度の区間賞を獲得したほか、最後はアンカーも務めました。
(川辺チームで走った 玉木美智代さん)「もうちょっとで3位に入るところだった」
数少ない実業団選手として、鹿児島の陸上界を引っ張っていた玉木さん。今でも当時のユニホームや写真、新聞の切り抜きなどは大切に保管しています。
(玉木美智代さん)「盛り上がってました。大会ができてうれしかった」「走れるんだって」
引退して以降、楽しみは後輩たちの活躍です。
(川辺チームで走った 玉木美智代さん)「今の陸上を見ているとみんな早くて、世界に飛び出す人もいる」「(この大会から)新たに活躍する人が出てくれたらうれしい」
かごしま女子駅伝から世界で活躍する選手も輩出してきました。世界陸上女子マラソン日本代表の池満綾乃選手や、オリンピック2大会連続出場の一山麻緒選手。そして…
(上原美幸選手)「覚えてないが、放送されているのを見て、ここで走りたいといっていたらしい」
リオデジャネイロオリンピック日本代表で、鹿児島銀行の上原美幸選手もその1人です。
中学3年生で初めて霧島路を駆け抜けた上原さんは、これまで3度の区間賞を獲得。高校3年生で打ち立てた4区の区間記録は12年たった今も破られていません。
この大会は、上原選手の原点の一つでもありました。
(鹿児島銀行 上原美幸選手)「かごしま女子駅伝に出たいということが目標で始まった、それからオリンピックに出たいという目標に変わったりして強くなれた、原点の大会だと思う」
上原選手は、今シーズン限りで実業団を引退。ひと区切りとなる大会を前に、地域や陸上界を想い走りたいと意気込みます。
(上原美幸選手)「笑顔で走り切れるように、地域の人に喜んでもらえる走りがしたい」「楽しそう、かっこいいとこの大会を走っている選手を見て思って、強くなっていく選手が生まれたらうれしい」
昭和に始まったかごしま女子駅伝。12色のたすきは、平成・令和と繋がれ、ふるさとの次の世代へ受け継がれていきます。
県内12地区の女性ランナーがたすきをつなぐかごしま女子駅伝は、今度の日曜日に霧島市で開かれます。
MBCではテレビ・ラジオ・インターネット生中継で大会の模様をお伝えします。