「鹿児島のシンボル」桜島の魅力にひかれ、半世紀近くにわたってその姿を描き続けている画家の個展が25日から始まります。難病を抱えながらも創作に懸ける思いを取材しました。
桜島のふもとにある民家から運び出された油絵。桜島のさまざまな表情が描かれた作品ばかりです。久しぶりの個展へ向けての準備です。
(桜島在住の画家 野添宗男さん)「息絶えるまで、お山と一緒にここでもう生活してしまおうと」
描いたのは桜島に暮らす画家・野添宗男さん(85)です。
福岡出身で武蔵野美術大学の前身・武蔵野美術学校を卒業。東京で作品を制作していた36歳のころ、人生を変える出会いがありました。
(桜島在住の画家 野添宗男さん)「色々と批判を受けたり、たたかれるから反発しながらも描けなくなっていた。そのときにテレビを何となくつけたら、火山灰に煙る桜島が浮かび上がってきた」
「ここに行ってみたいと思った」
このころの桜島は、活動が活発な時期で、噴石や空気の振動で窓ガラスが割れる被害も。全国ニュースでその様子を見た野添さんはその後、鹿児島を訪れ桜島を描くようになります。
1988年には個展も開きました。その後も思いは止まらず34年前、妻・照子さんを東京に残してアトリエを移しました。
(桜島在住の画家 野添宗男さん)「スケッチ画だけでも1万点以上」
「毎日、桜島を一種の定点観測みたいに水彩絵の具で描いていく。絶えず、律してないとマンネリになる。桜島の噴火はそういうときの自分の状況に活を入れてくれる」
桜島とともに暮らす創作活動は順調でしたが、10年前、体に異変が起きました。
(桜島在住の画家 野添宗男さん)「食事の用意をしていたら体が沈んでいく。おかしいと思って流しのふちをつかんで立ち上がろうとするが、体がどんどん沈んでいく。今までこんなことはなかった。おかしい」
じん帯がかたくなり神経を圧迫する進行性の難病「黄色靱帯骨化症」を発症。下半身が思うように動かなくなりました。
体に負担がかかるためこの10年間本格的な制作活動からは離れています。
野添さんの作品を多くの人に知ってほしいと、鹿児島で暮らす武蔵野美術大学の後輩たちが個展を企画しました。
日置市に拠点を多くイラストレーターの大寺聡さんもその一人です。
(イラストレーター・日置市在住 大寺聡さん)「作家として生き様や作風を尊敬している。この作家が鹿児島で認められないとしたら芸術文化が育ちにくい」
来年4月、桜島に8つある小中学校が統合して義務教育学校が開校します。
野添さんのアトリエが老朽化していることから大寺さんたちは、統合で閉校となる学校にスケッチも含めると1万点におよぶ野添さんの“桜島”を展示、保管できないかと考えています。
(イラストレーター・日置市在住 大寺聡さん)「桜島に住んでいる人に機運をつくってもらえたら、市民の力で展示施設ができるという期待はある」
個展を25日に控えた24日朝…
(記者)「野添さんが暮らす桜島を望む会場に作品が搬入される」
鹿児島市の長島美術館に作品が到着しました。
(桜島在住の画家 野添宗男さん)「一作一作。次の作品はもっといいものをつくる。最後はこの桜島が描けたと言えるような作品をつくりたい」
野添さんが桜島で描きためたおよそ20点を展示する個展「桜島現想」は25日と26日の2日間、長島美術館で開かれます。