今年は、昭和100年にあたる節目の年です。MBCでは「昭和からのメッセージ」と題し、当時の映像とともに昭和をひも解き、今を生きる私たちへのヒントを探ります。
昭和51年、1月31日に日本で初めての五つ子が鹿児島で生まれました。5人はあさって31日、49歳の誕生日を迎えます。きょう29日の昭和からのメッセージは、五つ子誕生をきっかけに変わっていた鹿児島の周産期医療です。
「双子かと思っていたら、次々と頭が見えて」
(五つ子の母親)
「5人一緒に生まれたということで、特別にどうこうでなく、ごく平凡に育てたい」
日本で初めての五つ子が鹿児島市立病院で生まれた当時の映像です。第2次ベビーブーム後の昭和51年1月31日、鹿児島出身で東京から里帰りした27歳の女性が出産しました。
(九州医療科学大学 池ノ上克学長)「保育器の中に2人入っている、保育器がなかった。大変だ大変だと言ったらすぐ届けてくれた」
当時の主治医、池ノ上克さん(79)。宮崎県にある九州医療科学大学の学長です。
「この子たちが49歳ですから31日で49歳、50年くらい前」
母親は当初、東京の病院で「赤ちゃんは双子」と聞いていて予定日の2か月前に里帰り。その後、市立病院を受診しお腹に5人いることがわかりました。
(五つ子出産の主治医・九州医療科学大学 池ノ上克学長)「当時はレントゲン写真を撮る、頭が3つ見えた、だから三つ子だと」
「(その後)少なくとも4人はいると、次の週に(頭が)もう1個ある、5人だとなった」
当時、鹿児島は未熟児などに対応する医療体制が十分ではありませんでした。
「全部は助からないだろうと思った」
妊娠22週以降の死産と生後1週未満で亡くなる赤ちゃんの割合は1000人のうち24人。全国でも高い割合だったといいます。
(五つ子出産の主治医・九州医療科学大学 池ノ上克学長)「全部は助からないだろうと思った、一番大きい子はうまくいくかもしれないと」
「半分は神頼み。普通分娩で帝王切開ではなくて、9分間で生まれてきた5人」
五つ子の誕生をきっかけに鹿児島の周産期医療体制は整備されていきました。市立病院は、未熟児や治療が必要な新生児を受け入れる「周産期医療センター」を新設。
その後、県内では昭和53年に鹿児島市の夫婦の間に四つ子、昭和55年には徳之島の夫婦の間に五つ子が誕生しました。
(九州医療科学大学 池ノ上克学長)「亡くなっていた赤ちゃんたちが生を受けることが鹿児島発でできた。体制づくりができていないがために命を失っていることがわかった」
晩婚化や高齢出産…半世紀経った課題は不妊治療に
あれから半世紀、晩婚化や高齢出産が増える中、鹿児島も含め国内での不妊治療は進化を続けています。
厚労省によりますと2021年に生まれた赤ちゃんのうち体外受精などで生まれた割合は8.6%と過去最高でした。
(當内梨奈さん)「毎日ソワソワしている」
鹿児島市の當内拓海さん(28)と梨奈さん(32)。今度の土曜日に第一子の出産予定日を控えています。
2人は1年半前に不妊治療を始めました。1回の治療費は高い時で6万円。これまでにかけた費用はおよそ60万円です。不妊治療は精神的にも経済的にも苦しい日々だったといいます。
(當内梨奈さん)「終わりが見えない。いつまで頑張ればいいんだろうと。医療に頼りながら妊娠できたのは良かったとは思う」
(夫・拓海さん)「子どもを授かるためにやれることやろう、気持ちは2人で一致していた」
梨奈さんは出生率の高さが全国5位になったこともある沖永良部島、知名町で生まれ育ちました。
(當内さん夫婦)「元気に健やかに育ってくれたら、優しい子に育ってほしい。困った人がいたら手を差し伸べてくれるような」
42歳で出産した母親の思い 子どもたちの未来
グラフは女性が一生のうちに産む子どもの数=合計特殊出生率の全国の推移です。
終戦後の昭和22年には4.54でしたが、昭和30年代後半に2を下回りました。五つ子が生まれた昭和51年は1.85。その後も減少傾向で、令和5年は1.20でした。
少子化が進む一方で、母親の年齢は高齢化しています。2022年に出産した女性のうち35歳以上の割合は3割を占めました。
鹿児島市に暮らす竹下夕貴絵さん(46)です。5年間の不妊治療の末、41歳のとき当時は先進的だった治療を受け娘の桜子さんを授かり42歳で出産しました。
(竹下夕貴絵さん)「不妊治療という言葉が独り歩きしていて、よくわからないところがあると思う、社会の中で理解されて温かく見守ってもらえると少子化になる中で前を向いていける」
出産後は自身の経験から、不妊治療中の夫婦の支援や相談を受ける仕事をしています。
自分たちが生まれ育った昭和の時代は「地域ぐるみで子どもを育てていた」と振り返り、これからは行政や周囲の協力を得て社会全体で育てていければと話します。
(竹下夕貴絵さん)「(昭和は)今に比べると不便なこともあるけどすごく楽しかった。娘たちが育つ未来の鹿児島、未来の日本で、大人の背中をみて子どもほしいなと、子どもがいても仕事頑張れると、そんな社会ができたらいい」
子どもを生み育てたい人たちの思いに応えられる仕組みづくりが必要
鹿児島で、全国初となる昭和の五つ子誕生から半世紀。周産期医療や不妊治療は発達しましたが、費用は高額で経済的、心理的負担には懸念が残されています。
医師は、「技術の進歩の一方で、子どもを生み育てたい人たちの思いに応えられる仕組みづくりが必要」と話します。
(九州医療科学大学 池ノ上克学長)「赤ちゃんを産みたい人はいる。手厚く対応できる豊かな社会をつくりましょうよと」
次の世代の子どもたちが安心して生きていける未来にするために社会や地域のあり方を考えていく必要がありそうです。