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鹿児島銘菓“ボンタンアメ100周年”「懐かしい味」「安心する」日本中から長く愛されてきた理由は

MBC南日本放送 2025年2月11日 20時20分

11日の特集はこちら「ボンタンアメ」です。ボンタンアメは今年、誕生から100年を迎えました。
長年、愛されてきたわけを取材しました。

ポケットサイズのレトロなパッケージでおなじみの「ボンタンアメ」。オブラートにくるまれたもちもちとした食感が人気の鹿児島生まれの菓子です。

街のみなさんにとっても慣れ親しんた味のようです。

(親子)「大好きです。息子は食べたことない。娘が好きでよく食べている。娘が『ちょうだい』というのであげたら『おいしい』ってなって」

こちらの高校生は。
(高校生)「工場にいった、小学校の工場見学。安心する」

愛知から旅行で来た2人も。
(愛知県から)「このまま丸ごとですよね。懐かしい味、子どもの頃の味がする」

口永良部島出身という女性は。
(口永良部島出身)「鹿児島に修学旅行できたときは買って帰った」

ボンタンアメ誕生のきっかけは

発売から今年で100年。全国で親しまれるボンタンアメ誕生のきっかけは何だったのか?製造するセイカ食品の玉川浩一郎社長に聞きました。

(セイカ食品 玉川浩一郎社長)「もともとお菓子の材料問屋だった。水あめもつくっていた」

セイカ食品の創業は明治36年。もともとは菓子問屋でした。

(セイカ食品 玉川浩一郎社長)「商売が厳しくなっていた時に、取り扱っている水あめで熊本の朝鮮飴をまねしてつくり、社員が遊んでいるのを見た初代が参考にして、鹿児島の特産であるボンタンの味をつけてお菓子として売り出そうとしたと聞いている」

ボンタンアメが生まれたきっかけは、従業員たちの「遊ぶ姿」でした。

長い歴史ゆえのエピソードも

その後、工場が空襲で焼けたり、8・6水害で浸水したりと、災難に見舞われたこともあったこの100年。

長い歴史の中で、ボンタンアメが誕生した「年」を巡って、こんなエピソードも…。

(セイカ食品 玉川浩一郎社長)「最初は大正15年(発売)と聞いていた、いろんな人の話をきき大正13年と訂正したが、当時の決算書などを見ると大正13年ごろでもないなと」

おととし、発売を大正13年から大正14年の西暦1925年に訂正。長い歴史があるからこそ起こった出来事です。

ボンタンアメの工場を見学

では、ボンタンアメは、どのようにつくられているのか、工場を見学させてもらいました。

(記者)「ボンタンアメの原料が入った窯、この段階でボンタンの良い香りマスク越しでもわかる」

原料は、もち米・水あめ・砂糖、そして阿久根産のボンタンから抽出したオイルなどです。

100度に熱してどろどろになった飴。窯の底をあけると…下にある冷却板に落ちて、冷やされていきます。

(セイカ食品 玉川浩一郎社長)「重力はただで利用できる、コンベヤーいらず」

飴は冷やしながら形を整えられ、オブラートに包んでいきます。

Q.なぜオブラートで包む?
(製菓部業務課 東龍吾係長)「キャラメルのように包装紙で包むともち米なのでくっついてしまう。オブラートだと形を保ったまま食べられる」

柔らかいため、手作業で箱詰めし、完成です。1日で製造するボンタンアメは57万粒。小さな一粒に長年の工夫が詰まっています。

キャッチコピーに込めた思いとは

そして、ボンタンアメといえば…キャッチコピー「ときどき、ずっと。」に込めた思いとは。

(セイカ食品 玉川浩一郎社長)「先代の社長からも言われているが、お菓子は主食とは違っていつもいつも食べてもらえるものではない、そのなかで人それぞれの食のサイクルがあると思う、できればボンタンアメも入れていただきたい」

「1年に1個でも5年に1個でも10年に1個でもいいから、ときどきでいいからずっと」

ふるさとのお菓子として、親しまれて100年。ほっとする懐かしい味をこれからも届けます。

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