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「女性関係」という道徳ツール - ふるまい よしこ 中国 風見鶏便り

ニューズウィーク日本版 2013年9月11日 20時24分

 先日の薄煕来の公判で気になったことがあった。薄が、証人席に立った元片腕の王立軍のことを「妻の谷開来に横恋慕していた」と言ってのけたことだ。王は薄自身が遼寧省から引き抜いて、政令直轄市の重慶市の公安局長に据えた人物である。だが、二人の間に齟齬が起き、身の危険を感じた王が成都にあったアメリカ総領事館に駆け込んだことが薄失脚につながった。

 その彼が自分を訴追する側の証人に立ったことは薄にとって耐えられなかっただろうと想像はつく。だが、そこに自分の妻を引き合いに出してこういう形で相手を貶めたことに、わたしだけではなく裁判の中継を見ていた多くの人たちが驚いた。

 この言葉がもたらす効果は絶大だ。中国では法律上、一夫一妻制を取っている。上司の妻に横恋慕するなんて道徳上あってはならないことだ、多くの人たちは自然にそう考える。薄はこの言葉を吐いて道徳的に部下である王を貶めた。だが、この裁判は薄に対するもので、すでに別途裁判が行われている王には薄の言葉に反論する機会はなかった。つまり、薄の言葉は言いっぱなしのまま自動的に記録され、人々の記憶に刻まれたが、真偽は分からないままなのだ。

「中国は男女平等の国である。中国は女性も働くし、夫も家事をする。日本では夫が妻を殴るというではないか。女性は仕事をせず、帰宅した夫を頭を下げて迎えるではないか。そんな卑屈な男尊女卑は中国にはない」

 中国に関わり始めてから何度こんな言葉を聞かされたことか。さすがに「頭を下げて〜」は古い映画の見過ぎだし、「夫が妻を殴るのは犯罪」と反論したが、男性が仕事帰りに市場で買い物をしたり、台所に立つ姿が普通になっている中国の現状を目にして、その違いは認めざるを得なかった。

 だが、現実に中国の社会において男女がどこまで平等におかれているかは非常に疑問だ。実際に社会学者の李銀河教授にインタビューした時、女児の就学率や女性の参政率、女性議員の割合などからすれば中国はまだまだ平等とは言えないという話だったし、つい最近も一部大学で女子学生に対して男子学生とは別の入学選別が行われていることをメディアが暴露している。

 わたし個人の経験からも、中国が特に男女平等な社会だとは思えない。職場での仕事内容や昇進のチャンス、さらに政府官僚や企業経営者の割合など、社会における男性と女性の平等感は香港の方がずっとずっと高い。香港の職場では女性上司の下で男性は普通に働いているし、男女の同僚が能力を競い合う場だがそれを特に苦にする様子もない。キャリアを築く女性の足を裏で特に引っ張るような習慣もない。そんな香港で10年以上を過ごしたわたしが中国、特に首都の北京に来た時に目にしたのは、女性はあっち、男性はこっちと自然に線引きをしたがる社会だった。農業を背景にする国民性だから、力仕事で人間の上下関係が出来上がる社会で培った「男女の線引き」感覚はそう簡単には消えないものなのだろうと考えるしかなかった。

 だが、ここのところ特にひっかかっているのは、「女性」という存在の「利用のされ方」である。

 例えば、2011年に政府に反抗的な態度を取り続けた芸術家、艾未未が逮捕されて大きな注目を浴びていた時に当局が最初に声高に流した報道が、「多数の女性と淫らな関係」を持ち、「重婚罪にあたる」というものだった。それまで思い切った発言で人々の関心を集めていた芸術家についての「多数の女性」「淫らな関係」というネガティブ報道の効果はてきめんだった。その直後から彼を語る時に必ず「男女関係の乱れ」を持ちだして嫌悪する人たちが出現し始め、今にいたっている。だが、当局はその後彼を釈放し、在宅起訴した時の容疑は「淫らな関係」「重婚」と大騒ぎされた文字はなく、「脱税」だった。

 その後、官吏が汚職で逮捕されるたびに「不特定の女性と不適切な関係」という表現が必ずと言っていいほど出てくるのに気がついた。実際に賄賂代わりにあてがわれた女性との行為中のビデオを暴露されて下野した官吏もおり、「男女関係の乱れ」はあながち「ウソ」とはいえないこともある。もちろん、お金と権力を手にすれば擦り寄ってくるのは男だけではないだろうことも想像できる。だが、「男女関係の乱れ」から摘発された官吏も結局罪に問われるのは「汚職」だった。

 実は薄煕来もその逮捕から公判にかけられる直前までずっと、ちらりちらりと政府系メディアは「多数の女性との関係」について触れていた。だが、実際にそれがどうして当局がいちいち流さなければならないような「罪」なのか、その関係が彼の権力とカネの動きにどんな影響を与えたのかについて、先日の公判でも全く触れられることはなかった。

 王立軍にも「乱れた女性関係」という報道があった。だが、その後時事雑誌が取材してまとめた、重慶市の公安局長として権力を欲しいままにしていた頃の王を描いた詳細なドキュメンタリーには、遼寧省においてきた妻と娘以外に女性の影は出現しなかった。もちろん、重要な関連人物としての谷開来はそこに登場したが、薄が公判で語ったような男女の関係を匂わせるような記述はなかった。

 つまり、逮捕者に対してきちんとした調査や捜査が進めば進むほど、最も話題になっている時に当局が流す「女性関係の乱れ」という情報はウヤムヤになり、最後にはまるでそんな話はなかったかのように消えていく。一体どういうことなのか。

 そこにある当局の狙いを、薄煕来公判と前後して明らかになり、ネットで大騒ぎになった「薛蛮子買春」事件で見た気がした。

「薛蛮子」はネットネームで本名を薛必群という。中国産マイクロブログ「微博」上で「大V」と呼ばれる著名ユーザーの一人であり、1200万もののファン(ツイッターでいうフォロワー)を従え、巨大な発言力を持つ人物だった。もともと共産党関係者の家庭に生まれたがその後アメリカに渡って国籍を取り、今は中国にUターンして中小企業やNGOなどに資金を提供する「天使投資家」として事業を行っているという。

 彼が逮捕される1週間ほど前、彼が投資していたネット企業の関係者がまず「ネットでデマを流した」として逮捕されて大きく報道されていた。そして今度は彼が、「市民からの通報により」駆けつけた警官に女性とふたりきりでいるところを拘束されたのである。報道によると、「一緒にいた女性の名前を知らなかった」ことから「買春」と判断されて逮捕された。

 余談だが、中国の公安が売春行為を疑った場合、一緒にいる男女をまず引き離してそれぞれ相手の名前を尋ねるのが古典的な手法らしい。昔わたしも友人のライブを見に行ってみんなで相乗りして帰宅したとき、その日初めて会った運転者の男性とわたしを残して最後に降りた友人が、改めて丁寧にお互いの名前を紹介してくれたことがあった。すでに酔っ払っていたはずの彼が神妙な顔で「万が一、警察に車を停められてお互いの名前を言えなかったら大変だから」と念を押した様子が、この事件の報道を読んで蘇った。中国に行く機会がある方で、もしも異性とふたりきりになることがある時には参考にしていただきたい。

「薛蛮子」は実際に買春していたことを自供した。だがその後事件は奇妙な方向へと展開し始める。中国メディアが毎日のように「微博の大Vが買春した」「微博でもてはやされる連中なんてこのレベル」「社会的信用などありえない」「ネット上はデマばかり」「取り締まらなければならない」という言葉とともに、この事件を伝えたのである。

 挙句の果てには国有テレビ局中央電視台のゴールデンタイムのニュース番組で、国家指導者の外遊ニュースに匹敵する3分もの時間を使って事件が報道された。そこでは彼と一緒に逮捕された女性たちの顔にはモザイクがかけられ、また本名も明かされない一方で、薛の顔も名前もそのまま、さらにはネットネームまで一緒に明記されて伝えられた。

 もう明らかにこれは「買春」事件報道ではなく、有名人の追い落としキャンペーンだった。そこに「買春」「10人以上の女性と」「たびたび」「スタイルがよくセクシーな女性という要求をした」といった表現が繰り返されれば、見ている側の道徳心は激しく刺激される。道徳心を刺激して「不道徳なネット有名人」のイメージを植え付ければ、あとはその彼が何者であろうが裁判がどうなろうが彼の名誉はズタズタである。

 中国当局はこうやって見事に目標人物のイメージを刷り込んでいたのだ。汚職やその他明らかな刑事事件の詳細が実際に明らかになる前に大衆に向けて当人の道徳的地位を貶め、社会的地位を奪い取る。その先、裁判を受けて刑が確定するのか、それともそれには至らない(あるいは証拠不十分?)とされて釈放されても、その人物の社会的名誉はある程度奪われてしまう。後者は艾未未のケース、そしてアメリカ籍の「薛蛮子」もそうなる可能性が高いといわれている。

 そしてそこに登場する、顔にモザイクをかけられ、名前も「某」とだけ記された女性たちはただの「工具(道具)」なのだ。追い落としたい相手を道徳的に貶めることだけを目的として「女性」という存在を堂々と利用する当局。その心理には男女の平等性など本当にあるのだろうか?

 わたしは買春や売春、あるいは汚職やさらには薄煕来や王立軍のような公権を乱用する人物の行為を正当化するつもりはない。だが、女性を簡単に道具として利用し、まだ何も知らされていない人たちにまず道徳心による嫌悪感を植え付ける。そんなことを簡単に思いつき、また実行する公的権力にも正当性はないと感じている。


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