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世紀の薄煕来裁判は習の失敗?

ニューズウィーク日本版 2013年9月20日 17時13分

 中国共産党の最高指導部入りを目前に失脚し、汚職容疑で起訴された元重慶市トップの薄煕来(ボー・シーライ)。あまり知られていないが、実は身長180センチを超える大男だ。8月下旬、山東省で公判が開かれると、中国当局は被告席に立った薄の両脇にわざわざ2メートル近い警備員を配置した。

 薄を矮小な男と印象付けようとしたその思惑は、法廷映像が公開されるとネットユーザーによってすぐ見破られた。彼らは、瞬く間に警備員の1人が元バスケットボール選手であることまで暴き出した。

 共産党政府の浅知恵だ。

「世紀の裁判」の審理の様子を裁判所が中国版ツイッター新浪微博(シンランウェイボー)で逐次公開したのは、習近平(シー・チンピン)政権が打ち出している汚職対策の象徴として、薄をつるし上げるのが目的だったはずだ。妻のイギリス人殺人事件と側近の米領事館への亡命騒ぎで失脚し、収賄、横領、職権乱用の罪で起訴された薄は当初、おとなしく罪を認めて刑に服するだろう、とみられていた。

 ところが8月22日に山東省済南市の裁判所で審理が始まると、裁判の行方を見詰めていた外国メディアは、予想外の展開に唖然とする。薄が検察側に猛反撃を始めたからだ。

 証人に自ら質問し、検察側の曖昧な立証を問いただす薄の姿は、微博を通じてほぼリアルタイムで全世界に中継された。それと同時に、共産党政府の見通しの甘さも知れ渡り、その政権運営能力の低さを露呈してしまった。いつもどおり非公開にすれば、反論の様子を知られることもなく、薄を政治的に葬り去れたのだから。

 中国政府の判断ミスが疑われる騒ぎは今回だけではない。6月には、上海の短期金融市場で銀行間の取引金利が急騰したとき、中央銀行の中国人民銀行は流動性が切迫したのに資金供給を拒否し、世界を慌てさせた。中国政府が市場の反応を読み違えたのでは、という指摘がくすぶっている。

 今回の裁判は終始一貫して「薄煕来劇場」だった。薄が問われた2件の収賄罪のうち、1件は薄の妻の谷開来(クー・カイライ)に対して、大連市の企業トップから323万ドルのフランスの別荘を贈られたことなどが薄の賄賂に当たるとされた。しかし薄がどの程度別荘の贈与を知っていたのか、この企業トップの法廷証言でも曖昧なままだった。

証人に逆尋問する被告人

 逆に証人出廷した企業トップに対する直接尋問が認められると、薄は容疑の一部とされる息子・瓜瓜(クワクワ)への便宜供与に自分がいかに関わっていなかったかを証明するため、企業トップを猛然と追及し始めた。



薄:あなたは瓜瓜に航空券やクレジットカード、セグウェイ(自立型スクーター)を与えたことを私に言ったことがあるか。
証人:ない。
薄:(瓜瓜と友人の)アフリカ旅行については? 費用を出してくれたそうだが。
証人:ない。
薄:事実に忠実な証言に感謝する。谷開来への高価なプレゼントや瓜瓜への高価な腕時計について、私に話したことは?
証人:ない。



 遼寧省長を務めていた02年当時、大連市に支払われた工事資金500万元(約8000万円)を着服したとされる横領罪についても、カネが入金されたのは薄本人ではなく妻の口座だった。職権乱用罪は、米総領事館に駆け込んだ側近の王立軍(ワン・リーチュン)を、重慶市公安局長職から中央の許可なく解任したことが違法だとされた。どれも薄を「汚職まみれの極悪政治家」と断じるには根拠薄弱だ。

 おまけに、裁判で薄は側近の王が自分の妻の谷にひそかに恋心を寄せ手紙で告白していたことまで明らかにした。薄が起訴事実と直接関係のないエピソードをわざわざ持ち出したのは国民の同情を買うためだろう。

 昼のメロドラマのようなこのエピソードがなかったとしても、裁判のネット公開で一番得をしたのはほかでもない、薄だ。裁判後、微博が実施したネット世論調査によれば、裁判開始前に薄に対して悪い印象を持っていた人のうち、改善した人の割合は42%で、より悪化した人の14%を大きく上回った。

「騒ぎ自体を楽しむネットユーザーの声を真に受けるべきでない」と、政治評論家の李大同(リー・タートン)は言う。「一般の国民はもっと冷静に薄と裁判を見ている」


「内」がダメなら「外」へ

 中国では最近、裁判の審理をネット公開するケースが増えている。しかしなぜ、最も敏感な今回の審理をネットでほぼリアルタイムに公開したのか。

 すべては習政権の思惑どおりだった可能性もある。そもそも、薄が掲げた社会主義回帰路線に激怒し、薄を失脚に追い込んだのは前首相の温家宝(ウェン・チアパオ)とされる。薄を追い込んだのが前政権の温と胡錦濤(フー・チンタオ)前主席ならば、薄と同世代でもある習と李克強(リー・コーチアン)首相が薄を厳刑で追い詰める理由は必ずしもない。むしろ薄が提唱した路線を支持する国民を敵に回すだけ、という見方もできる。

 ただ薄が他の汚職官僚より軽い刑で済むと、汚職狩りの象徴として薄を起訴したことと矛盾する。やはり、放っておけば過去の政治家として消えていくはずだった薄の反撃を許したのは、単純に習があらゆるシナリオを想定せずに犯したミスである可能性が高い。

「もし習が『薄は反論しない』という部下からの誤った情報をうのみにして判断を誤り、ネット公開を認めたのだとしたら、ダメージは小さくない」と、政治学者の趙宏偉(チャオ・ホンウェイ)は言う。「現政権の能力の低さを表している」

 習は失点をどう回復するのか。秋には新政権の今後の運営方針を決める重要会議が迫っている。高成長時代が終わりつつある中国経済の方向転換が最大の課題だが、複雑に絡んだ利害関係を調整し、構造改革を一気に進める方策は簡単に見つからない。

「そうなれば、習政権は外交で失点回復を図るだろう」と、趙は言う。外交とは、つまりは領土問題だ。「日本と事を構えるのはリスクが大きい。アメリカの支援が十分でないフィリピンが狙われるかもしれない」

 ただし、領土問題でもミスを犯せば、習政権のダメージは計り知れない。

[2013.9.10号掲載]
長岡義博(本誌記者)

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