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ガラパゴス化した日本の「ドラマ」、コンテンツ輸出にはどんな工夫が必要か? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2013年11月19日 11時51分

 2014年秋からのNHK「朝の連続テレビ小説」(大阪放送局制作)の企画が発表になりました。タイトルは『マッサン』で、今回は初の「外国人ヒロイン」になるそうです。物語は、ニッカウヰスキーの創業者の妻となったスコットランド女性の「日本での奮闘記」になるからです。

 日本は現在、改めて国際化を進めている時期ですし、話としてとても面白そうです。NHKもヒロインの募集に関しては「スコットランドと日本のカルチャーギャップ」をリアルに再現してくれそうな人材を選んで欲しいものだと思います。

 ですが、この企画、折角の「国際化」企画であるにもかかわらず、「コンテンツの輸出」ということから考えると、どうしても疑問符がついてしまうのです。というのは「ウィスキー会社立ち上げの奮闘記」というのは、要するに「アルコール飲料」の話であり、そうなると欧米では「ファミリー向けのドラマ」というカテゴリからは完全に外されてしまうからです。それ以前に、イスラム圏ではムリでしょう。

 こうした「日本のドラマのガラパゴス化」という問題ですが、例えば9月まで放映していて大人気を博した、同じ朝ドラの『あまちゃん』は、「東京ドラマアウォード」のグランプリを取っています。

 このアウォードですが、報道によれば、「国際ドラマフェスティバル in TOKYO 2013」のメインイベントとして、「市場性、商業性にスポットを当て、"世界に見せたい日本のドラマ"というコンセプトの下、世界水準で海外に売れる可能性が高いテレビドラマを表彰する」というものだそうです。

 お断りしておきますが、私はハッキリ申し上げて『あまちゃん』の相当にディープなファンであると思います。ですが、この『あまちゃん』に関しても、これが、この「国際ドラマフェスティバル」の意図に沿って「コンテンツ輸出」の対象となるかというと、どうにも自信がありません。

 例えば作中で、多少乱暴な行動や言葉遣いで繊細なニュアンスを出しているとか、「アイドルはファンの仮想恋愛の対象」だという考え方、東京方言と三陸地方の方言の相違を使った微妙な感情表現なども国境の外では理解が難しいと思いますが、こうした点は「解説」がキチンとしていれば、それ自体が日本文化の説明ということで伝わっていくと思います。



 問題は東日本大震災の打撃という問題が、実は「地震と津波による被災」だけでなく「過疎高齢化」が二重の痛苦として重なっている、その課題を受け止める表現として、手の込んだ言葉の奔流で作られた「ご当地コメディ」という形態が選択されたというのは、グローバルな文化の現状から見ると「進みすぎて」いるという点です。

 それもキチンと解説すれば、もしかしたら村上春樹文学のように国境の外にも伝わっていくかもしれませんが、マスを対象とした「エンターテイメント」というカテゴリからは完全に逸脱していくでしょう。やはり『あまちゃん』は「コンテンツ輸出」の対象にするのは難しそうです。

 もっと単純な例としては、好評を博した音楽ドラマの『のだめカンタービレ』が挙げられます。玉木宏さんが上野樹里さんを投げ飛ばしたりする「マンガ調のコミカルな暴力シーン」が挿入されたり、本筋とは関係のない「下ネタ」が飛び出したりする点で、この作品も「コンテンツ輸出」の対象とするのは、かなり「ムリ」であると思います。タブーに触れるということもありますが、クラシック音楽という題材と、偽悪的なコメディが「バランスする」という感覚が翻訳不可能だからです。

 こうした「マンガ調のコミカルな表現」ということでは、『クレヨンしんちゃん』も難しい例です。アメリカにもこの「しんちゃん」の評判が伝わり、版権を取得したアニメ専門局が放映をしたのですが、「セリフをそのまま訳したら」どうなったかというと、日本では「幼児から大人まで楽しめるはずのファミリー向けアニメ」が、「成人向け」になって深夜の時間帯に放映ということになってしまいました。

 この「しんちゃん」の「アメリカ版」ですが、単に深夜の時間帯でしか放映できなかっただけでなく、「日本語だとソフトなユーモアになるが、英語だと直訳でも露骨なアダルト向けブラックジョークにしかならない」という「文化ギャップの相当に複雑な例」にもなってしまいました。

 こうした「異文化の世界に持ち出すのが難しい」コンテンツというのは、日本文化が孤立した形で発達洗練した、いわば「ガラパゴス」的な文化であると言えます。一つ確認しておきたいのは、そのこと自体には何も問題はありません。

 ですが、仮に「国際ドラマフェスティバル」といったイベントを盛り上げて、「コンテンツを輸出したい」ということであるならば、それ相応の戦略が必要になると思います。つまり、純粋に「ガラパゴス化した」ドラマではなく、もう少しグローバルな世界で通用するような工夫をする必要があると思うのです。



 それは、例えば「キモノ」とか「ゲイシャガール」が出てくるとか、海外で人気だというだけで、意味もなく歌舞伎町前の夜景や渋谷駅前のスクランブル交差点が出てくるというような「いかにも」な演出をすることではありません。

 一つには「どう考えても国内向け」のコンテンツを、ムリに海外に出すというのは止めた方がいいということ、更に国内では許されても海外では理解されない表現について、演出上の配慮をする必要があるということがあると思います。ですが、問題はそれだけではありません。

 重要なのは、日本というローカルに根ざしていながら、いや根ざしているがゆえに、2010年代という現代のグローバルな課題、人類共通の課題に迫る「何か」をしっかり表現できているということです。

 例えば、押井守氏の『攻殻機動隊』は、現代のスノーデン事件に至る「ITと管理社会」の問題を他に例を見ない先見性と先鋭性を持って表現していたわけです。宮崎駿氏の『千と千尋の神隠し』も、主人公の少女のなんとも言えない「イノセンス」を表現して例えばディズニーには描けない水準に達していたことが国際的な評価を得た原因だと思います。

 また、映画の世界では、小津安二郎監督作品に続いて、最近では成瀬巳喜男監督作品が欧米でブームになっていますが、それも男女の人情の機微を冷徹なまでに描いている演出のクオリティが、美術や撮影、音楽などのチームワークの質も含めて国境を越えているということが理由だと思うのです。国際的に通用する作品にするには、そうした高いクオリティを持ちながら、現代という時代を描く表現を作っていかねばなりません。いずれにしても、「コンテンツ輸出」というのは、甘い話ではないと思います。

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