Infoseek 楽天

ユネスコの自然文化遺産登録で「和食」の世界は広がるのか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2013年12月5日 13時32分

 アゼルバイジャンのバクーで開かれているユネスコ(国連教育科学文化機関)の委員会は4日、日本政府が提案していた「和食=日本人の伝統的な食文化」を無形文化遺産へ登録することを決定したそうです。

 その登録へ向けての提案書で日本政府は、和食の特色として「正月や田植えなど年中行事との密接な関わり」、「四季や地理的多様性による新鮮な山海の幸」「自然をあらわした美しい盛り付け」などを挙げてプレゼンをした、報道ではそのように伝えられています。

 せっかく登録が決まったのですから、その主旨を生かして「日本食の普及」に弾みをつけたいものです。ですが、この政府のいう「特色」を守っていくということは可能なのでしょうか?

 反対に、そうした「特色」にこだわることが、改めて「ホンモノの日本食だけを紹介していきたい」といった姿勢であると受け止められて、以前にあった「スシポリス批判」のように海外からの反発を買う、その結果として日本発の運動が頓挫するということの繰り返しになっては面白くない、そんな懸念も感じます。

 ですが、このプレゼンにあった「特色」の定義付けというのは、そんなに悪くないのかもしれません。日本食の持っている魅力について、良く整理されているだけでなく、今後の海外への日本食普及において、ヒントになるようにも思うからです。

 一つは、この提案書にある「新鮮な山海の幸」という点です。例えばアメリカの場合ですと、現在でも日本食ブームは続いていますが、どうしても「国際都市の高級各国料理」というカテゴリから脱せていません。とにかく「国際都市」というロケーションが中心であり、新鮮な食材を生み出すロケーションとともに楽しむという演出はありません。

 そこで、例えばマサチューセッツやメリーランドでは、新鮮な海の幸を使った日本食が提供されるとか、中西部の農業地帯では地元の上質な牛肉を使った「すき焼き」とか、新鮮な野菜をふんだんに使った料理とか、あるいはロッキー山脈に近い高原や山岳のリゾートでは山の幸を使った日本食とか、カリフォルニアのワイン産地では、ワインに合う日本食の提供とか、そうした「自然と一体になった食の楽しみ方」という提案は、世界中で進めていったら良いと思います。



 もう一つは、季節感との連動です。土地柄が違えば季節感は異なってくるわけで、細かなアレンジにはお国柄、土地柄の反映が出てくるのだと思いますが、少なくとも日本食の持っている「夏は食に涼を求め、冬は食で暖をとる」という姿勢というのは意外と珍しい発想であるし、積極的に提案していって良いのではないかと思います。

 というのは、世界的に見れば暑い土地、暑い季節にはスパイスの利いた料理で汗をかくのが主流だからです。消化を助け、食中毒を防止しながら栄養を取るための生活の知恵です。アメリカの場合は、そんなにスパイシーなものは食べませんが、夏と言えば屋外で「バーベキュー」をやって肉類を沢山食べるわけです。

 そこへ「夏に涼を取る食文化」というのを持ち込むというのは、勿論色々なアレンジは必要かもしれませんし、そもそも衛生面などのことを考えると「高級な食文化」になってしまうのかもしれませんが、ある種の健康的なライフスタイルとして新鮮な提案になるのではないでしょうか?

 その反対に、冬でも暖房を効かせた部屋で季節感のない料理を食べるという欧米のスタイルに対して、暖房は控えめ、その代わりに暖かい鍋料理や煮物、汁物で暖を取るというスタイルも、提案してみる価値があるように思います。

 春と秋については、春は芽吹きの季節であり花の季節でもあるわけで、そうした生命感と季節の食材の連動、秋は収穫の喜びの表現ということで、それぞれに地域の食材の特性を生かしながら「季節感のある日本食」を創造していったら面白いと思うのです。

 特色のうちの「盛りつけ」に関しても、色彩や造形への好みというのは土地柄を反映します。ですが、日本食であれば「ただ漠然と盛りつける」のではなく、食器の選択や取り合わせなどに意識的になることや、配膳の順番、あるいは並べ方に至るまで手間暇をかけることにするのです。

 ここまで考えてきて思ったのですが、日本食の「本質」というものが新鮮な食材の活用と、季節感を通じて「自然との一体感」を演出し、「盛りつけ」に意識的になるというものであるならば、それぞれの土地の気候や食材の特徴、あるいは美意識に合わせて日本食が「変化していくことこそ自然」であるのではないでしょうか?



 ということは、日本食の海外への普及ということを、日本食本来の精神に即していくのであればあるほど、「日本原産の生鮮食材」を輸出して「日本と全く変わらないオーセンティックな日本食」を提供するということから離れていっても構わないということになります。そうなると経済効果が限定されてしまいますが、その点は調味料と乾物を中心にまだまだ拡大の余地はあるように思います。

 食文化というのは国境を越えた瞬間に、その土地柄に合うように変化していくのは極めて自然です。その自然の成り行きについて「なんちゃって日本食」とか「ニセモノ」だとして忌避するのではなく、海外のそれぞれの土地柄に合わせて「新鮮な食材と季節感、美意識」を高いレベルで実現しているのならば「そうした変化の中に日本食の本質が生きている」ということにしてゆけば良いのです。

 アメリカでは、寿司ブームが加熱する中で、板前修業に志願してくるアメリカ人も増えています。彼らは、修行中は真剣に日本人の師匠の言うことを聞いていますが、心の奥には「創作料理」への情熱を抱えた人間が多いのです。そうした人々が伸び伸びと包丁がふるえるようになっていって良いのです。ただし、そこにはある「大枠としての日本食のガイドライン」があり、少なくとも調味料と乾物だけは本国のものがホンモノだと言う信頼感がある、そんな形での「拡大」が現実的ではないかと思います。

この記事の関連ニュース