今年の年末は、なかなか興味深い中東映画が上映中である。
年末年始にゆっくり鑑賞する映画、というと、2週間前に逝去したピーター・オトゥールの「アラビアのロレンス」(3時間半!)が思い浮かぶ。だがハリウッドが描く中東ではなく、中東に住む人々が自分たちの社会を描いた映画を見ながら新年を、というのも悪くない。
なかでも筆者のお勧めは、パレスチナ人ラッパーたちを描いた「自由と壁とヒップホップ」だ。以前にこのコラムでも紹介させていただいたことがある。
2008年、パレスチナ系のアメリカ人女性監督、ジャッキー・リーム・サッロームによる作品で、イスラエル領内や占領地のパレスチナ人ラッパーたちの行動と生活に密着する。登場するラッパーたちの生き生きとした姿には、ただ元気をもらえるし、アビールやArapeyatといった女性もいて、とにかくカッコよい。
なによりも感動するのは、ここで主人公的な役回りのグループ、DAMが、イスラエル領内のパレスチナ人ラッパーと、長くイスラエルの占領に苦しんでいるパレスチナ自治区のラッパーたち、特にガザ在住のラップグループのPRを呼んで、パレスチナ人ラップ大会を西岸で開催しようと計画するところだ。
イスラエルのリッダに住むDAMや、アッカに住むマフムード・シャラビといったパレスチナ人は、1948年にイスラエルが建国されたとき、そこにもともと住んでいたが領外に追い出されずに残った人々だ。建国時に「そこにいた」以上、イスラエルは彼らに国籍を与えたが、ユダヤ人の国として建設されたイスラエルでは、非ユダヤ教徒のパレスチナ人には明らかに二級市民扱いがなされている。「パレスチナ人だとみれば、自爆テロ犯じゃねえかって、バスに乗るたび白い眼で見られるもんさ」と、映画のなかでシャラビがこぼしている。
一方で、ガザや西岸に住むパレスチナ人は、イスラエル建国時に領外に追い出されてイスラエル「国民」にはならなかったが、1967年にイスラエルに占領されて、同じくイスラエルにより二級市民(あるいはさらに下)に位置付けられた人々だ。
DAMらラッパーたちが行おうとしたのは、同じイスラエルというユダヤ国家のもとで迫害されているパレスチナ人同士、繋がろうじゃないか、という試みである。いや、政治家たちが主導してきた「パレスチナの大義」のように、大上段に構えたものじゃない。ラッパーたちの、「いっちょ集まろうぜ!」という、わくわくするようなノリが皆を突き動かしているのだ。
映画では、DAMがパレスチナ人の子供たちに対して、ラップの歌い方、作り方を教えるところがあるのだが、それこそが音楽のもつ力をビビッドに表している。現状に対する不満、憤り、将来への不安・・・・。イスラエル国内と占領地でパレスチナ人たちの若者が抱えるあらゆる鬱屈を、爆発するまで押し込めようとする現実の政治に対して、握りしめた拳をマイクを握る手に変えて、体を爆発させるのではなく声と言葉を爆発させて、パレスチナ人社会に一石(本物の石じゃなく)を投じる。
印象的なのは、こんな「一見イカれた兄ちゃん」たちに、周辺のパレスチナ社会がとても暖かく、誇りに思っていることだ。彼らがパレスチナのラジオ局に出演するシーンがあるのだが、年配のDJが滅茶苦茶「お堅い」標準語のアラビア語で、ラッパーたちを丁重に紹介するのが、笑える。しかも、「先生」という敬称までつけて。
アラブ文学研究者の友人、山本薫さんにこの映画のことを教えてもらった2009年、あまりに感動したので2人でサッローム監督を日本に招聘して、特別に英語版を上映させてもらった。渋谷「アップリンク」の会場80席、わずか一回の上映に、集まった人数は200人を超えたのではないか。急遽アップリンクにお願いして、2回の上映とした。上映後は感動の嵐で、ぎゅうぎゅう詰めになりながら見た人たちは深夜まで熱く感想を語り合っていた。あれから日本語版ができるまで、3年という月日が経ったが、その感動は変わらない。
ピーター・オトゥール演じる「アラビアのロレンス」は、映画の終盤でファイサル国王に「取り引きは老人の仕事だ、若者は戦い、戦いの美徳は若者の美徳だ」と言われて、パレスチナの地を去る。「自由と壁とヒップホップ」を見ていると、「老人の取り引きはうんざりだ、若者は音楽で戦う」と言うラッパーたちの声が、聞こえる。
年末年始にゆっくり鑑賞する映画、というと、2週間前に逝去したピーター・オトゥールの「アラビアのロレンス」(3時間半!)が思い浮かぶ。だがハリウッドが描く中東ではなく、中東に住む人々が自分たちの社会を描いた映画を見ながら新年を、というのも悪くない。
なかでも筆者のお勧めは、パレスチナ人ラッパーたちを描いた「自由と壁とヒップホップ」だ。以前にこのコラムでも紹介させていただいたことがある。
2008年、パレスチナ系のアメリカ人女性監督、ジャッキー・リーム・サッロームによる作品で、イスラエル領内や占領地のパレスチナ人ラッパーたちの行動と生活に密着する。登場するラッパーたちの生き生きとした姿には、ただ元気をもらえるし、アビールやArapeyatといった女性もいて、とにかくカッコよい。
なによりも感動するのは、ここで主人公的な役回りのグループ、DAMが、イスラエル領内のパレスチナ人ラッパーと、長くイスラエルの占領に苦しんでいるパレスチナ自治区のラッパーたち、特にガザ在住のラップグループのPRを呼んで、パレスチナ人ラップ大会を西岸で開催しようと計画するところだ。
イスラエルのリッダに住むDAMや、アッカに住むマフムード・シャラビといったパレスチナ人は、1948年にイスラエルが建国されたとき、そこにもともと住んでいたが領外に追い出されずに残った人々だ。建国時に「そこにいた」以上、イスラエルは彼らに国籍を与えたが、ユダヤ人の国として建設されたイスラエルでは、非ユダヤ教徒のパレスチナ人には明らかに二級市民扱いがなされている。「パレスチナ人だとみれば、自爆テロ犯じゃねえかって、バスに乗るたび白い眼で見られるもんさ」と、映画のなかでシャラビがこぼしている。
一方で、ガザや西岸に住むパレスチナ人は、イスラエル建国時に領外に追い出されてイスラエル「国民」にはならなかったが、1967年にイスラエルに占領されて、同じくイスラエルにより二級市民(あるいはさらに下)に位置付けられた人々だ。
DAMらラッパーたちが行おうとしたのは、同じイスラエルというユダヤ国家のもとで迫害されているパレスチナ人同士、繋がろうじゃないか、という試みである。いや、政治家たちが主導してきた「パレスチナの大義」のように、大上段に構えたものじゃない。ラッパーたちの、「いっちょ集まろうぜ!」という、わくわくするようなノリが皆を突き動かしているのだ。
映画では、DAMがパレスチナ人の子供たちに対して、ラップの歌い方、作り方を教えるところがあるのだが、それこそが音楽のもつ力をビビッドに表している。現状に対する不満、憤り、将来への不安・・・・。イスラエル国内と占領地でパレスチナ人たちの若者が抱えるあらゆる鬱屈を、爆発するまで押し込めようとする現実の政治に対して、握りしめた拳をマイクを握る手に変えて、体を爆発させるのではなく声と言葉を爆発させて、パレスチナ人社会に一石(本物の石じゃなく)を投じる。
印象的なのは、こんな「一見イカれた兄ちゃん」たちに、周辺のパレスチナ社会がとても暖かく、誇りに思っていることだ。彼らがパレスチナのラジオ局に出演するシーンがあるのだが、年配のDJが滅茶苦茶「お堅い」標準語のアラビア語で、ラッパーたちを丁重に紹介するのが、笑える。しかも、「先生」という敬称までつけて。
アラブ文学研究者の友人、山本薫さんにこの映画のことを教えてもらった2009年、あまりに感動したので2人でサッローム監督を日本に招聘して、特別に英語版を上映させてもらった。渋谷「アップリンク」の会場80席、わずか一回の上映に、集まった人数は200人を超えたのではないか。急遽アップリンクにお願いして、2回の上映とした。上映後は感動の嵐で、ぎゅうぎゅう詰めになりながら見た人たちは深夜まで熱く感想を語り合っていた。あれから日本語版ができるまで、3年という月日が経ったが、その感動は変わらない。
ピーター・オトゥール演じる「アラビアのロレンス」は、映画の終盤でファイサル国王に「取り引きは老人の仕事だ、若者は戦い、戦いの美徳は若者の美徳だ」と言われて、パレスチナの地を去る。「自由と壁とヒップホップ」を見ていると、「老人の取り引きはうんざりだ、若者は音楽で戦う」と言うラッパーたちの声が、聞こえる。