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「安倍靖国参拝」、アメリカの許容範囲はどこまでか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2014年1月9日 12時59分

 昨年末に安倍首相が行った「靖国参拝」に関しては、駐日アメリカ大使館並びにアメリカの国務省本省から「失望」というコメントが出ています。この点については「これで日米関係が悪化する」とか「米中接近のきっかけになる」というレベルのものではないし、まして、この事件を受けて、アメリカの一般の世論における対日感情が悪化するということはないと思われます。

 アメリカは年始以来、異常な気象状況が続いています。特に「ポーラー・ヴォーテックス(極渦、北極からの低気圧)」が吹き込んだ寒波のために、西海岸とフロリダ半島の先以外の北米大陸は記録的な低温となりました。私の住むニュージャージー州でも7日の火曜日は、快晴であるにも関わらず最高気温が華氏11度(摂氏マイナス12度)という厳しい寒さになりました。

 ですから、ニュース報道としては「それどころではなかった」のです。ですが、そうした異常な状況がなくても、「安倍参拝問題」が一般のTVニュースで大きく取り上げられるということはなかったでしょう。

 ではアメリカはこうした「右傾化」に関して無制限に許容すると考えても良いのでしょうか?それとも何らかの限度があると考えるべきなのでしょうか?

 まず大原則から確認するならば、第二次大戦を「最後の世界大戦」とする立場から「国連=連合国」の正統性を認め、「旧敵国=枢軸国」は「非正統」とするのがアメリカの立場です。これは国連憲章つまり現在の国際法の基本であるわけですが、アメリカの場合はそれだけではなく、戦勝への犠牲と貢献をした国として「国是」としているとも言えます。

 では、どうして安倍首相を含む自民党の一部の政治家が、この「非正統」の側、つまり枢軸国戦争指導者の名誉回復を企図していること、あるいはそうした政治家が首相もしくは閣僚として日本政府の中枢を構成していることをアメリカは許容しているのでしょうか?

 6つあると思います。

 1つ目は損得計算、敵味方の計算ということです。1940年代末からの東西冷戦の激化を受けて「自由陣営の盾」としておく計算がされたわけですが、これが「日本に対する損得勘定の原型」になったと思われます。東西冷戦終了後もアジアでは冷戦的な対立が残る中、中国と北朝鮮に対する抑止力維持という目的において日本は重要なパートナーであり、「味方にしておく」ということはアメリカのアジア戦略の大前提になっています。

 2つ目は、日本には、アメリカにとって「他に適当な友人がいない」ということです。旧枢軸国の戦争指導者の名誉回復を志向する個人などというのは、本来はアメリカとしては「絶対に友人にはしたくない」はずです。ですが、日本国内で「その反対派」を探すと「現在のアメリカの安全保障戦略にほぼ全面的に反対」という、アメリカに取っては「より理解しがたい」グループしかない、そんな時代が続きました。現在でも安全保障やエネルギー政策、更には自由貿易政策などでは、こうした傾向があるわけで「消去法」的に日本の「親米保守」をパートナーにするしかないわけです。



 3つ目は、世界においてGDPのランキングでは第3位という日本は、貿易ならびに金融のパートナーとして非常に重要だということがあります。いくら中国が台頭したとはいえ、経済の内容自体が高度で、しかも透明性の高い中での大規模な市場、さらには投資元・投資先としての日本経済の存在はアメリカにとって重要です。

 4つ目は、何と言ってもアメリカ人の日本観においては「好感度が安定」しているということがあります。ケネディ大使がJ-POPを楽しんだり、北海道の自然に感心したりというのは、彼女が「特別な親日家」だということもありますが、日本という国がアメリカにとって「親しみのある外国」として極めて近い存在だということの象徴だと考えられます。

 5つ目は、安倍首相に代表される「保守イデオロギー」が、日本では必ずしも多数派ではないということをアメリカが良く知っているということがあります。日本のポップカルチャーにしても、経済活動にしても、環境問題への姿勢や戦争と平和の問題などで、日本からはどちらかと言えば「アメリカ人の理解できるリベラルな価値観」に属するメッセージが発信されることが多い訳です。日本というのはそうした「多様性」の確保された社会だということと同時に、「積極的なナショナリズムというのは少数派」だということが知られているのだと思います。

 6つ目としては、アメリカ人にとっては自分の身の回りにいる日本人がきわめて礼儀正しく、アメリカ社会に対して礼節を尽くしているという経験があるわけです。特に、戦後の日系人がアメリカ社会で模範的な立場を貫いたこと、米国進出をした日本企業が徹底して「非政治的」な姿勢を貫いてアメリカの「地元への貢献」を続けたことで蓄積された信用というのは絶大なものがあると思います。

 ちなみに、今回の「参拝」という事件によって、安倍首相個人に対して「価値観を共有している友人」という感覚は大きく損なわれたのは間違いないでしょう。年末にこの欄で申し上げたように、ここ数年、ルース前大使やケネディ大使の行動などから、漠然と期待感の出て来た「オバマ大統領の広島・長崎への献花」という問題は、安倍内閣の続く限り難しくなったと見ることができます。

 また、上記の6つの条件の中で「許容されている」とはいえ、今回の行動は「許容範囲の限界」により接近する行動だったということは言えます。言い換えれば、日本が蓄積してきた信用を「消費」したわけです。では、その「限界」が来るのはいつかと言えば、上記の6つの指摘の中の2番目を除いた5つの点において、「逆」のトレンドが顕著になった時だと考えられます。

 要するに、日米同盟の軍事上のメリットが小さくなり、日本経済の存在感が低下し、日本のカルチャーへの興味が薄れ、その一方、日本で保守イデオロギーが多数派となり、アメリカ人の身近で日本人の利己的な行動が目につくようになる、そうした事態です。そこが「限界」ということになります。その一線が越えられることとなれば「日米関係」は激しく動揺することになるでしょう。

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