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『鉄くず拾いの物語』が問いかけるもの

ニューズウィーク日本版 2014年1月14日 15時1分

 異色の戦争映画『ノーマンズ・ランド』(01年)で世界を沸かせたダニス・タノビッチ監督の最新作『鉄くず拾いの物語』が日本公開中だ。
 
 主人公は、ボスニア・ヘルツェゴビナの小さな村でつましく暮らす少数民族ロマのナジフと妻セナダ、そして2人の娘たち。セナダのお腹には3人目の子供がおり、ナジフは拾い集めた鉄くずを売って生計を立てている。

 ある日腹痛を起こしたセナダは、流産のためすぐに手術しなければ命の危険もあると診断される。保険証がないため高額な医療費がかかる、と言われたナジフは「分割払い」を懇願。だが病院側はそれを認めず、2人は治療をあきらめて帰っていく――。

 『鉄くず拾いの物語』は、実際の出来事を当事者が再現した「ドキュドラマ」。セナダが経験した理不尽な出来事を新聞記事で知ったタノビッチが、本人たちを訪ねたことがきっかけで生まれた。昨年のベルリン国際映画祭では銀熊賞(審査員グランプリ)、主演男優賞、エキュメニカル賞特別賞の3冠を手にしている。来日したタノビッチに、本誌・大橋希が話を聞いた。

──セナダとナジフが困難に直面してもあくまで冷静であり、声高に不満を口にしないのが印象的だった。あきらめているから、だろうか?

 初めて2人に話を聞きに行った時、厳しい境遇にも文句を言わない彼らをすごいと思った。ただそれはナジフとセナダだけでなく、ボスニア戦争後のボスニア人に共通する姿かもしれない。今の状況で何が最善かを模索し、乗り切っていく。そのことを戦争が私たちに教えたのではないか。

──ナジフもセナダも当初は、映画出演に戸惑っていたようだが。

 でも、すぐに2人は私を信頼してくれた。ほかの人が同じ目に合わないようにあなたたちのことを映画にしたい、私の意図はそれだけだ、この映画が作られるべきだと思うなら力を貸してくれと言うと理解してくれた。

 撮影には小さなキヤノンのカメラを使い、クルーも8人だけ。彼らにすれば、子供が回りで遊んでいるようなものだったと思う。この映画に必要なのは、ナジフとセナダの生活に入らせてもらうことだった。私たちはできるだけ彼らから見えない状態で撮影にあたった。

 アカデミー賞の受賞経験もあり、もっと大きな作品も撮れる監督がこんな作り方をすべきじゃない、と言ってくる友人も多かった。でも私はそういう言葉には耳を貸さなかった。



──ロマ差別に憤って映画を作ろうと思ったわけではない、とあなたは言っている。もっと広い問題提起をしたかった?

 彼らがロマだったことは関係ない。偶然そうだっただけだ。

 いまの社会システム全体を考え直さなければならない時期に来ていると思う。どの国に行っても将来を楽観視している人はほとんどいなくて、みんな自分たちの社会や世界の先行きを悲観している。

 富の配分で失敗したこともあるのだろう。人類の答えが、自由資本主義だと私には思えない。1%の富裕層が富の99%を所有する現状は何の解決にもならないし、戦争や貧困のきっかけにもなると思う。社会主義は国家として機能しなかったが、考え方としては最善なものの一つではなかったか。

──ボスニア紛争前のユーゴスラビアは社会主義国家だった。当時なら、貧しくて保険証が持てず、医療を受けられないセナダのような例は起きなかった?
 
 そうだね。最善ではなかったかもしれないが、少なくとも必要なシステムが成立していたから。今はシステム自体がない。あるとしても、強き者のみを助けるものになっている。

 人々はそれを資本主義と呼ぶが、私は封建主義に逆戻りしているような気がする。権力者が数人いて、ほかの人々は彼らに奉仕する、そういう社会に戻っているみたいだ。

──あなたはパリに10年住んだ後、5年前に故郷サラエボに戻った。

 サラエボは小さな町なので生活しやすい。パリでは子供たちをあちこち連れて行くのに、車で何時間もかかることが多かった。ずっと住み続けるかどうかは分からないが、今は両親のそばにいたい気持ちもあるし、妻がモンテッソーリ教育の学校を作ったからというのもある。最高の学校で、うちの子供たちも通っているんだ。

──映画を撮り始めた頃は考えなかっただろうが、ベルリン国際映画祭に出品した時には「もしかしたらいい評価を得られるかも」と思ったのでは?

 それは本当に期待していなかったし、出品されるだけで本当にうれしかった。



 ただ、カメラマンのエロルからは怒って電話が掛かってきたよ。「(映画祭の審査委員長である)ウォン・カーウァイ監督が見ると分かっていたら、あんな小さなカメラで撮らなかった!」って。ごく普通の市販のカメラで撮っているからね。

 カーウァイの作品を見ている自分としては、彼がこういう映画に心を動かされるとは思っていなかった。だから受賞は嬉しい驚きだった。審査員と話す機会もあったが、みんなコンペティション部門で最初に見たこの映画を鮮やかに覚えていてくれた。

──ナジフは今どうしているのか。

 この映画で彼はスターになった。女性誌の表紙を飾ったし、国中の人が彼を知っている。今は公園の清掃の仕事をしていて、生活環境はよくなった。仕事を得て、少しのお金と健康保険や社会保障なんかを手に入れて、ベルリンに旅することも出来た。彼の世界をちょっとは変えることができたのかな、と思う。

──次の作品『ホワイト・ライズ』はどんなものになりそうか。

 それはトップシークレット。もし漏らしたら、あなたを抹消しなくてはならないから内緒だ(笑)

[2014.1.14号掲載]
大橋希

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