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アカデミー賞候補入り、日本人夫婦の素顔

ニューズウィーク日本版 2014年1月20日 16時46分

 篠原有司男(うしお)、81歳。現代芸術家、通称「ギュウちゃん」。

 60年代にボクシングのグローブでキャンバスをたたきつけるボクシング・ペインティングなどで注目された伝説の前衛アーティスト。日本で初めてモヒカン刈りにした男は、その反骨精神をもって69年、37歳でニューヨークに殴り込みをかけた。

 3年後、美術を学ぶためニューヨークへ渡った19歳の乃り子は有司男と出会ってすぐ恋に落ち、一緒に暮らし始める。子育てと苦しい家計のやりくりに追われるなか、乃り子は自分の創作活動を制限するしかなかった。

 ニューヨークのアートシーンは有司男に厳しかった。話題になることはあるが、作品は売れない。商業的な成功より、ただ純粋に芸術を追求して真っ向勝負を挑んだ有司男の不器用さも道を阻んだ。乃り子はそんな奔放過ぎる夫に時に愛想を尽かしながらも支え続けた。

 ドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』は、ニューヨーク在住40年の篠原夫妻の闘いと愛の記録だ(日本公開中)。監督のザッカリー・ハインザーリングがブルックリンにある夫妻の自宅兼スタジオにカメラを持って入ったのは08年のこと。カメラは最初、あふれんばかりのエネルギーで創作に励む有司男を中心に撮っていた。だが次第に夫婦の葛藤、心の痛み、そして1人のアーティストとして歩き始めた乃り子へと視点が移っていく。

 長年、有司男のアシスタントに甘んじてきた乃り子が見つけた表現方法とは、夫婦の波乱の40年を自分の分身の「キューティー」に託して描くこと。飲んだくれで身勝手な夫に失望し苦悩しながらも、運命を共にしてきたキューティーの心の叫びを漫画的なドローイングでつづる。

 この映画はアーティストの人生ドラマというより、「キャリアへの失望、男女の役割、結婚、老いること」という普遍的なテーマを問い掛けた作品だと、ハインザーリングは言う。篠原夫妻に本誌・中村美鈴が聞いた。

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──ボクシング・ペインティングをするときは無の境地なのか。

有司男 そりゃあもう、僕の得意技よ。何も考えない。だって最初のボカーンが一番気持ちいいもんね。白いところにビシャーとね。見てる人たちが僕を興奮させるから、ギャラリーは多ければ多いほどいいね。



──同業者、特に表現者同士の結婚のいい面と悪い面は?

乃り子 デメリットっていったら、本当に地獄。同じ屋根の下に自我の強いアーティストが2人っていうのは二重苦なわけ。

 一緒にいていいのは、例えば旅行で海に行ったとき、誰か自分の荷物を見てくれる人がいないと困るでしょ。そういう2人でいたほうが便利なことは世の中にいっぱいあるわけじゃない。だから結婚っていうのは愛情だけじゃなくて、効率性っていうのも1つの形だと思うの。

有司男 僕たちアーティストで、しかも外国で成功しようとしてるわけだから、協力し合ったり情報を共有できるのがいい点かな。一緒に美術館に行って、絵を鑑賞したりね。夫婦の会話が豊かになっていくしね。

乃り子 1人で見たほうがいいよ。うるさくてしょうがない。

有司男 そのやりとりがまた面白いんだよね。俺がしゃべり過ぎるから、「黙ってろ」ってね。だからすごい僕たちはうまく機能してる。夫婦、同じ職業で。

乃り子 自分がそう思ってるだけでしょ!

有司男 どろどろでけんかしてるのが僕たちで、面白いんだよ。

乃り子 映画の中で、有司男が日本に行って家を空けるシーンがあるでしょ。その静かな空間で、私がどれだけ豊かに過ごしていたことか。

有司男 それはだから相対的な話で、たまにあるからいいんだよ。ずっと静かだったら、寺みたいな家で全然楽しくねえよ。

──「キューティー」シリーズで注目され始めた妻に嫉妬は?

有司男 あるよ。夫婦でも絵になると競争相手になるからね。それがないと刺激し合えない。乃り子の絵は、あの単純明快なところが受けてるわけよ。で、僕のはぐちゃぐちゃで分かんないって言われることがあるよね。

乃り子 「単純明快」っていう表現は、私の絵には合わない。

有司男 あっ、単純じゃなくて複雑明快か。それもおかしいな。線は単純だけど内容は濃い、か。

乃り子 ぜんぜん線も単純じゃないし、みんなきれいだって評価してくれるじゃない。

有司男 いちいち褒めなきゃなんねえからな、夫婦なのに(笑)。



──別れようと思ったことは?

乃り子 若いときは純粋だから、すごく彼を愛してた。作品にも人間性にもほれて。ところが、だんだん自分のサングラスがずれてくるわけよ。何これって、本当の姿が見えてきて。

 でも家を出ていくためには自分の絵で稼げるようにならなきゃ。絵が売れないのに出ていくと、ほかの仕事で稼ぐためにアートをやめなきゃいけない。それだけはできなかった。女性として屈辱的な気持ちがいつもあったけど、絵を続けるためには仕方なかった。

 それにどんな飲んだくれでも、息子のために父親が必要だと思ったから。そうこうしているうちに06年、彼が急に呼吸困難になって病院に担ぎ込まれたのよね。

有司男 ああ、飲み過ぎでね。

乃り子 そのとき急にガクッて弱くなったわけよ。

有司男 もう飲んでないよ、10年間。一滴も。

乃り子 7年でしょ! そうなると弱くなった相手を捨てるのは卑怯な感じがしてね。それと長く一緒にいれば情が湧いてくるものじゃない。例えば使い古した手袋も、新しいのを買うべきだけど捨て難いとかね。もう少し大事に使おうっていうか。だってジーンズだってある程度なじんだほうがいいでしょ。

──映画で「女性のアーティストが成功するには鍵のある部屋がいる」「ギュウちゃんとの苦労があったからキューティーが生まれた」と語っている。

乃り子 どちらも本音。それまでは油絵とかエッジングとかいろいろしたけど、自分の作品だとは思いながらも過去の作家の模倣のようになってた。ピカソもシャガールもレンブラントも何も超えていなかったのよね。 だからいつも私は本当にアーティストなのかと自問し続けていた。

 でもキューティーを作ったときに、これは完全に私のクリエーションだと、私はアーティストですって、堂々と言えるようになった。そのキューティーはギュウちゃんとの生活の中から生まれたわけで、だから過去を否定することはできない。

──妻を「秘書」呼ばわりするなど、ぞんざいな扱いだが。

有司男 そうだなあ。結局はどたばたで40年間過ごしたからね。「別れようぜ、この野郎」とけんかしながらも協力してやってきたしね。そういうのを映画で1本まとめて振り返ってみると、愛情が流れてたんだと感じるね。

乃り子 映画見て初めて愛情に気づいたんだって。

[2013.12.24号掲載]

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