共同通信によれば、ワシントンの日本通人脈のベテランである、リチャード・アーミテージ元米国務副長官は2月27日に、ワシントンのシンクタンク「日米研究インスティテュート(USJI)」が開いた会合で、安倍晋三首相の靖国神社参拝について「中国が外交的に利用できる」という観点から「反対だ」と述べたそうです。
また、従軍慰安婦問題に関しては、「現代の日本の人権保障や日本国民に対する高い国際評価を傷つけている」と指摘し、こちらに関しても安倍政権に注文を出したと伝えています。
私はその場にいませんでしたし、発言の原文を検討したわけではありませんが、少なくともこの配信内容や、他の新聞の電子版の記事を総合すれば、このような発言があったのは事実のようです。
中国を利するから危険だとか、慰安婦問題は日本の評価を傷つけるという主張は、私がこのブログや先月の朝日新聞のインタビューでも述べてきた内容に合致します。アーミテージ氏が私の発言を踏まえているかどうかは分かりませんが、それとは別に、日本の保守と相性の良かったという評価のあるアーミテージ氏が、このような発言にシフトしていることに、私は違和感を持ちました。
例えばイラク戦争に際して「ショー・ザ・フラッグ(旗幟を鮮明にせよ)」などと日本に迫り、その際に日本の保守イデオロギーに理解を示すような言動を繰り返していたことを、氏はどう反省しているのでしょうか? それは単なる損得勘定だったのでしょうか? あるいは「他に日本には友人がいないから」という消去法だったのでしょうか? また「共産主義という共通の敵」がいた時代からの「惰性」で組んでいただけだったのでしょうか?
そうした過去と、現在の「もっともらしい正論」の間のギャップを誠実に語ることなく、日本の世論に対する「上から目線」を感じさせるような形でこうしたコメントが独り歩きしても、効果は限られているように思います。同氏には猛省を促したいと思うのです。
一方で、その朝日に掲載された私のインタビューに関して、櫻井よしこ氏が3月3日の産経新聞(電子版)のコラム「美しき勁き国へ」で「思わず苦笑した」と書いているのには、私のほうが「苦笑」してしまいました。苦笑したというのは、私のロジックの本論には反論せずに、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』を比喩的に使っている点を批判しているだけだったからです。
ですが、この櫻井氏のコラムの本論そのものは深刻な問題を抱えており、とても「苦笑」では済みません。
櫻井氏は朝日の報道姿勢への批判に終始しているのですが、その本論としては従軍慰安婦問題を取り上げています。
「大阪朝日」が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」を報じた際に、その女性、金学順氏が「14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られた」という訴状を根拠に「彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の『女子挺身隊』と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである」としているのです。
櫻井氏は更に「この延長線上に93年の河野談話がある。談話は元慰安婦16人に聞き取りを行った上で出されたが、その1人が金学順氏だ。なぜ、継父に売られた彼女が日本政府や軍による慰安婦の強制連行の証人なのか」と、疑問を呈しています。
現在、安倍政権が「調査チーム」なるものを作っていますが、河野談話の「見直し」を匂わせたような行動をしているわけです。この櫻井氏のロジック自体が、その危険性を完全に見落としているいい例です。
危険性というのは簡単な問題です。「借金や親の承諾のない女性を強制連行」したのは誤りで、「管理売春制度の下で継父に売られた女性」を「置屋の財産権を保障」するために、あるいは「戦場での統制」を確保するために「逃亡を官憲が阻止した」というのが事実だとします。その「前者」は誤りで「後者」が正当だという証明を行うことが、「現在の日本国の名誉回復」にはならないということです。
このブログで何度もお話しているのですが、安倍政権も櫻井氏もこの非常に基本的な点に気付いていない、これは大変に問題だと思います。こうした誤解を抱えたままで、それこそ「狭義の強制はなかった」などという言い方で「河野談話」を変更するようなことがあっては、前回の靖国参拝や、ダボス発言とは比べ物にならないインパクトで、日本の国益は毀損される危険性があるのです。とにかく、冷静になって考えていただきたいと思います。
実は、私は櫻井氏と公開形式の討論という形でご一緒したことがあります。詳しくはその際のエントリをご覧頂きたいのですが、私は「現在の日本の国体は浄化されているのだから、今の世代の日本人が例えば中国人から歴史の問題で挑発を受けても現在形でのケンカを買って相手の術中にはまるのではなく、ケンカは買うべきではない」あるいは「その姿勢が、昭和天皇や、戦犯遺族の残した『沈黙の継承』ということであり、戦後の日本人の誠実な歩みによって成された『国体の浄化』を守ってゆくということだ」という論理で、歴史認識の修正に疑問を呈したのです。
その際に櫻井氏からは「同意はしませんが、お気持ちは分かります」と理解していただいたこと、そして何よりも礼儀正しく知的な佇まいには今でも好感を持っています。日本の世代間格差についてどう考えるかをお尋ねしたところ、「高齢の世代が寛容さを見せて譲歩をする必要があります」と仰っていたのも、凛として印象的でした。
冒頭のアーミテージ氏の発言に関しては、「あなたに言われる筋合いはない」というのが正直な感想ですが、あのアーミテージ氏にしてこのような発言が出るというのは、事態が深刻化している証左と思います。安倍政権は、とりあえずウクライナ問題でG7との歩調を合わせましたが、それに安心することなく日米のコミュニケーション正常化に努めてもらいたいものです。櫻井氏も、何かに取り憑かれたようにイデオロギーに執着するのではなく、冷静に凛として論理を修正していだけないものでしょうか。
また、従軍慰安婦問題に関しては、「現代の日本の人権保障や日本国民に対する高い国際評価を傷つけている」と指摘し、こちらに関しても安倍政権に注文を出したと伝えています。
私はその場にいませんでしたし、発言の原文を検討したわけではありませんが、少なくともこの配信内容や、他の新聞の電子版の記事を総合すれば、このような発言があったのは事実のようです。
中国を利するから危険だとか、慰安婦問題は日本の評価を傷つけるという主張は、私がこのブログや先月の朝日新聞のインタビューでも述べてきた内容に合致します。アーミテージ氏が私の発言を踏まえているかどうかは分かりませんが、それとは別に、日本の保守と相性の良かったという評価のあるアーミテージ氏が、このような発言にシフトしていることに、私は違和感を持ちました。
例えばイラク戦争に際して「ショー・ザ・フラッグ(旗幟を鮮明にせよ)」などと日本に迫り、その際に日本の保守イデオロギーに理解を示すような言動を繰り返していたことを、氏はどう反省しているのでしょうか? それは単なる損得勘定だったのでしょうか? あるいは「他に日本には友人がいないから」という消去法だったのでしょうか? また「共産主義という共通の敵」がいた時代からの「惰性」で組んでいただけだったのでしょうか?
そうした過去と、現在の「もっともらしい正論」の間のギャップを誠実に語ることなく、日本の世論に対する「上から目線」を感じさせるような形でこうしたコメントが独り歩きしても、効果は限られているように思います。同氏には猛省を促したいと思うのです。
一方で、その朝日に掲載された私のインタビューに関して、櫻井よしこ氏が3月3日の産経新聞(電子版)のコラム「美しき勁き国へ」で「思わず苦笑した」と書いているのには、私のほうが「苦笑」してしまいました。苦笑したというのは、私のロジックの本論には反論せずに、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』を比喩的に使っている点を批判しているだけだったからです。
ですが、この櫻井氏のコラムの本論そのものは深刻な問題を抱えており、とても「苦笑」では済みません。
櫻井氏は朝日の報道姿勢への批判に終始しているのですが、その本論としては従軍慰安婦問題を取り上げています。
「大阪朝日」が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」を報じた際に、その女性、金学順氏が「14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られた」という訴状を根拠に「彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の『女子挺身隊』と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである」としているのです。
櫻井氏は更に「この延長線上に93年の河野談話がある。談話は元慰安婦16人に聞き取りを行った上で出されたが、その1人が金学順氏だ。なぜ、継父に売られた彼女が日本政府や軍による慰安婦の強制連行の証人なのか」と、疑問を呈しています。
現在、安倍政権が「調査チーム」なるものを作っていますが、河野談話の「見直し」を匂わせたような行動をしているわけです。この櫻井氏のロジック自体が、その危険性を完全に見落としているいい例です。
危険性というのは簡単な問題です。「借金や親の承諾のない女性を強制連行」したのは誤りで、「管理売春制度の下で継父に売られた女性」を「置屋の財産権を保障」するために、あるいは「戦場での統制」を確保するために「逃亡を官憲が阻止した」というのが事実だとします。その「前者」は誤りで「後者」が正当だという証明を行うことが、「現在の日本国の名誉回復」にはならないということです。
このブログで何度もお話しているのですが、安倍政権も櫻井氏もこの非常に基本的な点に気付いていない、これは大変に問題だと思います。こうした誤解を抱えたままで、それこそ「狭義の強制はなかった」などという言い方で「河野談話」を変更するようなことがあっては、前回の靖国参拝や、ダボス発言とは比べ物にならないインパクトで、日本の国益は毀損される危険性があるのです。とにかく、冷静になって考えていただきたいと思います。
実は、私は櫻井氏と公開形式の討論という形でご一緒したことがあります。詳しくはその際のエントリをご覧頂きたいのですが、私は「現在の日本の国体は浄化されているのだから、今の世代の日本人が例えば中国人から歴史の問題で挑発を受けても現在形でのケンカを買って相手の術中にはまるのではなく、ケンカは買うべきではない」あるいは「その姿勢が、昭和天皇や、戦犯遺族の残した『沈黙の継承』ということであり、戦後の日本人の誠実な歩みによって成された『国体の浄化』を守ってゆくということだ」という論理で、歴史認識の修正に疑問を呈したのです。
その際に櫻井氏からは「同意はしませんが、お気持ちは分かります」と理解していただいたこと、そして何よりも礼儀正しく知的な佇まいには今でも好感を持っています。日本の世代間格差についてどう考えるかをお尋ねしたところ、「高齢の世代が寛容さを見せて譲歩をする必要があります」と仰っていたのも、凛として印象的でした。
冒頭のアーミテージ氏の発言に関しては、「あなたに言われる筋合いはない」というのが正直な感想ですが、あのアーミテージ氏にしてこのような発言が出るというのは、事態が深刻化している証左と思います。安倍政権は、とりあえずウクライナ問題でG7との歩調を合わせましたが、それに安心することなく日米のコミュニケーション正常化に努めてもらいたいものです。櫻井氏も、何かに取り憑かれたようにイデオロギーに執着するのではなく、冷静に凛として論理を修正していだけないものでしょうか。