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米SAT改訂とアメリカの受験戦争 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2014年3月13日 13時6分

 先週の3月5日、アメリカの受験生の悩みのタネであったSAT(Scholastic Assessment Test、大学進学適性試験)が2016年から改訂されるという発表がありました。このニュース、背景の事情が少々複雑ですので、ここで一旦整理しておこうと思います。

 SATの実施母体である非営利団体カレッジボードによれば、改訂の方向性は以下のようです。(1)国語(英語)を易しくして難解語彙の知識を要求する問題を減らす、(2)誤答への減点は止めて誤答も白紙も同様に零点とする、(3)2005年に導入された、数学+英語読解+エッセイ(文法含む)の3科目2400点制を止めてエッセイをオプションとし、2科目1600点制に戻す、という3点です。

 報道によれば、受験生への負担を減らすのが目的であり、特に難解語彙の少ないACT(American College Testing)というSATと同等の統一テストにシェアを逆転されたことが直接の要因であるとされています。確かに(1)から(3)は全てACTへの追随(ACTは36点満点制)であると言えます。

 特に、(1)に関しては、難解語彙を含む読解問題を解くには、学校の正規のカリキュラムでは足りないために、近年では塾や家庭教師がブームとなっており、結果的にSATのスコアと、親の世帯年収が比例するという「格差の世襲」が起きているということも問題視されたようです。

 では、これで過熱気味のアメリカの大学入試は、少し楽になるのでしょうか?

 そうではないと思います。知育偏重の「詰め込み教育」への反省が起きていて、これからは「一芸に秀でた人材」探しが更に進むなどという「甘っちょろい」話ではないのです。

 一言で言えば、各大学が過熱する大学入試の中で、それぞれに「独自ノウハウを蓄積しつつある」ことを前提に、SATには「単なる足切り」的な意味しか期待しなくなったということ、それが今回の改訂の背景にあると考えられます。

 難解語彙を用いた読解問題を止めるというのは、その点数と「大学入学後の伸びしろ」との相関関係について、各大学が追跡調査をした結果として「不要」だという結論を出しているのでしょう。

 では、アメリカの大学入試に関しては、どのような変化が今後考えられるのでしょう?

 まずエッセイですが、SATのエッセイが「オプション」になり「総合点から外された」というのは、各大学が「SATエッセイの点数」を余り重視していなかったということの反映だと思います。

 その他にも大学協会の統一出願書様式における、共通のエッセイ問題というのもありますが、こちらも重視されなくなっており、各大学の独自のエッセイ出題が増加傾向にあるのです。

 つまり、SATのエッセイが重視されなくなる代わりに、各大学が課する独自出題でのエッセイにおいては、これまで以上に独創的な、そして知的批判精神の発揮された内容が期待されるということになると思われます。

 更に言えば、内申書、特に「同じAでも難しい科目を取ってのAなのか?」とか、数学の進度などへの厳しいチェックはエスカレートすることこそあれ、緩むことはないと思われます。

 特に数学の場合は、通常の高校微積分ではなく、AP(アドバンスト・プレースメント)という大学教養課程の単位先取りとして、「微積分BC」レベルへの到達、更には、これは絶対ではありませんが、可能であれば多変数関数の微積分や線形代数の初歩まで履修していることが、理系やファイナンス志望の学生には期待されているわけです。そうした方向での「過熱した飛び級履修」は沈静化しないでしょう。



 ちなみに、今回のSATの改訂は、英数2科目の「レギュラーSAT」だけが対象です。数学や理科などの科目別に受験する、もう一つの「統一テスト」である「SAT・サブジェクトテスト(通称SATⅡ)」には一切の変更はありません。大学単位の先取り試験である、APやIB(インターナショナル・バカロレア、これはアメリカの制度ではありませんが)にも変更はなく、またSATⅡ、AP(またはIB)などを受けて良いスコアを持っていることが必要だということも全く変化はありません。

 有名大学に入るには、例えば理系の場合では「SATⅡの生物、化学、物理、数学2」で800点満点近辺、そしてAPの「生物、化学、物理、微積分BC」で5点満点を揃えて大学に出願するのが「安全」という一つのガイドラインがあります。これに関しては緩和されることはないと思われます。

 ちなみに今回の改訂では、SATの「満点」に占める数学の割合が、2400点満点中の800点(33%)から、1600点満点中の800点(50%)に増えます。大規模公立校などでは、合否ということでも、あるいは奨学金支給判定ということでも、数学の出来る生徒が有利になると言っていいでしょう。これも2005年以前に戻ることになります。

 いずれにしても、アメリカのAO入試では、特に理系の場合は高校生の学力について、できれば大学の教養科目段階まで「先へ進むこと」そして「良い点数を取ること」が期待されています。その上で、一芸に秀でた学生を探す努力も二重に行っているのが、アメリカの入試制度です。

 日本の場合は、面接の導入などを通じて「高校生に抽象概念の操作能力」への関心を向けるようなメッセージ発信が模索されています。私は、それは方向性としては間違っていないと思います。

 そうではあるのですが、日本の入試制度の最大の問題は、受験勉強が易しすぎるということだと思います。理数系ではカリキュラムの上限が低すぎます。レベルの低い範囲内で考案されたパズルのような難問奇問が出題されたり、作業が正確であることが過剰に重視されています。

 更に受験の際に理科が2科目で良いというのも大問題で、「物理2+化学2+生物2」の3科目を統一テストなどで評価するようにして、真剣に3つとも高校時代に履修させれば、多くの学科で大学教育の効率は良くなると思うのです。文系で数学が軽視されているとか、統計学が無視されている点に至っては、教育制度の欠陥としか言いようがありません。

 日本でアメリカの受験制度を参考にする動きがあるようですが、その本質をよく理解した上で検討していただきたいと思うのです。表層だけマネするようなことがあっては、日本の制度の長所が失われるだけで制度全体が崩壊する危険があると深く憂慮しています。

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